間宮 精一
マミヤ セイイチ
        
              
                        昭和期のカメラの改良・開発技術者 元・マミヤ光機取締役技師長。 
- 生年
 - 明治32(1899)年1月17日
 
- 没年
 - 昭和64(1989)年1月6日
 
- 出身地
 - 静岡県田方郡
 
- 主な受賞名〔年〕
 - 藍綬褒章〔昭和26年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和44年〕
 
- 経歴
 - 父の勝三郎は間宮式金庫の発明家で、間宮も写真に打ち込んだ。一時金銭登録機の製作を志し、昭和3年日本金銭登録機を創立、技師長となったが、12年に辞めてスプリングカメラを開発、菅原恒二郎の協力を得て15年マミヤ光機製作所を設立、技師長として「マミヤシックス」を発表した。戦後は25年にマミヤ光機と改称、取締役技師長となり、「マミヤフレックス」などを開発した。29年顧問に退く。
 
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
	
    
  
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                    間宮精一 まみや-せいいち
        
              
                        1899-1989 昭和時代の実業家。
明治32年1月17日生まれ。昭和3年日本金銭登録機を創立し技師長。15年マミヤ光機製作所を創立し,新方式のカメラ「マミヤシックス」を発表した。戦後は改称したマミヤ光機の取締役技師長をつとめた。昭和64年1月6日死去。89歳。静岡県出身。東京府立第四中学卒。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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                    間宮 精一 (まみや せいいち)
        
              
                        生年月日:1899年1月17日
昭和時代の実業家。マミヤ光機取締役技師長
1989年没
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
	
    
  
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