関南瀕(読み)せき なんぴん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関南瀕」の解説

関南瀕 せき-なんぴん

1718-1783 江戸時代中期の儒者
享保(きょうほう)3年5月10日生まれ。京都にでて伊藤蘭嵎(らんぐう)にまなび,同地で教授した。寛延4年丹波篠山(ささやま)藩(兵庫県)にまねかれ,明和3年藩校振徳堂が創設されると学士となりその運営を統括した。天明3年4月28日死去。66歳。大坂出身。名は世美(ときよし)。字(あざな)は士済。通称は文平。著作に「南瀕詩文稿」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む