20世紀日本人名事典 「関田美智子」の解説 関田 美智子セキタ ミチコ 昭和期の登山家 生年昭和14(1939)年5月10日 没年昭和51(1976)年5月3日 出身地東京 学歴〔年〕東京学芸大学卒 経歴東京都立心身障害者福祉センターに勤務。女性クライマーとして知られ、昭和33年女性登山クラブ・凌雪会を設立。鹿島槍荒沢奥壁、穂高滝谷、谷川岳一ノ倉沢衝立岩などに登攀。昭和47年アラスカのマッキンリー南壁に女性登山隊を率いて挑戦。49年日本マナスル女性隊に参加。昭和51年穂高登山中に滑落死した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関田美智子」の解説 関田美智子 せきた-みちこ 1939-1976 昭和時代後期の登山家。昭和14年5月10日生まれ。都立心身障害者福祉センターに勤務。鹿島槍荒沢奥壁,穂高滝谷,谷川岳一ノ倉沢衝立(ついたて)岩などにのぼり,女性クライマーとして知られた。昭和49年日本マナスル女性隊に参加。昭和51年5月3日穂高登山中に滑落死。36歳。東京出身。東京学芸大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by