雁ヶ地新田・白鷺脇付新田(読み)がんがじしんでん・はくろわきづけしんでん

日本歴史地名大系 の解説

雁ヶ地新田・白鷺脇付新田
がんがじしんでん・はくろわきづけしんでん

[現在地名]木曾岬村雁ヶ地・さかえ

西は白鷺川に、北は田代たしろ新田に接する。寛文九年(一六六九)に開発されたが(長島細布)、正徳四年(一七一四)の大暴風雨で亡所となった。その後、寛保元年(一七四一)美濃の内田与四郎が再開発した。その後また亡所となったが、宝暦四年(一七五四)尾張海西かいさい(現愛知県海部郡)の加藤太左衛門がこれを与四郎より譲受け、がん地付じづけ新田・がん地脇付じわきづけ新田・白鷺脇付新田を開発した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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