青野ヶ原の戦(読み)あおのがはらのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「青野ヶ原の戦」の意味・わかりやすい解説

青野ヶ原の戦 (あおのがはらのたたかい)

1338年(延元3・暦応1)西上する北畠顕家の南朝軍とこれを防ごうとした足利幕府軍との,美濃国不破郡青野ヶ原(現,岐阜県大垣市青野町)における合戦。劣勢となった南朝方の挽回を図った顕家は,前年8月陸奥の霊山城を発して再び西上の途につき,12月末いったん鎌倉を占拠し,1月には東海道の足利方を連破して美濃に入った。足利尊氏・直義は高師冬ついで高師泰らを派し,美濃守護土岐頼遠らとともに顕家軍を要撃させた。また桃井直常ら関東の足利方も顕家を追尾し,挟撃を図った。顕家軍は関東勢と洲俣(すのまた),足近(あぢか)に戦い,さらに関東勢を合わせた師冬,頼遠以下と1月28日青野ヶ原に激戦を交じえてこれを破った。しかし顕家は,近江・美濃境の黒血川に布陣する師泰勢を避けて伊勢に転進し,北陸の新田軍とともに京都を突く意図を実現できず,同年5月石津の戦で敗死した。大局的にみれば,青野ヶ原の戦は足利方の戦略の成功に終わったといえる。
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