百科事典マイペディア 「霊山城」の意味・わかりやすい解説
霊山城【りょうぜんじょう】
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陸奥国伊達市の東端にそそり立つ霊山に築かれた南北朝期の城。信仰の山として慈覚大師開基という霊山寺が営まれ,最盛時3600坊の勢力を誇ったといわれるが(《霊山寺縁起》),1337年(延元2・建武4)1月,鎮守府大将軍陸奥大介の北畠顕家が陸奥大守の義良(のりよし)親王を奉じて入山し,城郭を整備して国府の機能をここに移すに及び,あらためて全国的に注目された。山頂近くの国司館といわれる5間×4間の大礎石群を中心として,数多くの遺構が確認されている。伊達郡の地頭伊達行朝や霊山の東と北に接する宇多荘,金原保の地頭白河(結城)宗広らは,北畠氏の最も頼りとする奥羽南朝方の雄であり,城の構えはこのような勢力配置の中で考えられる。顕家はまもなく上洛軍を進めて戦死し,霊山城も1347年(正平2・貞和3),奥州管領の率いる北朝勢の総攻撃をうけて落城した。霊山寺は室町初期に霊山山麓西方に再興された。
執筆者:遠藤 巌
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
南北朝期の城。福島県伊達(だて)市霊山町霊山にあり、標高805メートルの霊山山頂および山腹に築かれた南北朝期に典型的な山城(やまじろ)である。1337年(延元2・建武4)北畠顕家(きたばたけあきいえ)が後醍醐(ごだいご)天皇の皇子義良親王を奉じて拠(よ)ったのが始まり。この地は南朝に属した伊達行朝(ゆきとも)の勢力下にあり、慈覚(じかく)大師開基と伝える霊山寺を城郭に利用し、衆徒を軍事力に頼んだものである。北朝方により1347年(正平2・貞和3)に落城。
[小和田哲男]
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