改訂新版 世界大百科事典 「石津の戦」の意味・わかりやすい解説
石津の戦 (いしづのたたかい)
南北朝時代に高師直らの足利方が,摂津に進攻した南朝方の北畠顕家に反撃を加えて和泉国大鳥郡石津に倒した戦い。1337年(延元2・建武4)再度陸奥から西上した顕家は,38年(延元3・暦応1)1月美濃の青野ヶ原に幕府軍と戦ってのち(青野ヶ原の戦),伊勢を経て大和に入り,京都から出撃した幕府執事高師直らと奈良般若坂に戦い,さらに3月山城の男山に拠った弟北畠顕信と呼応して河内,摂津に進出し,北朝および幕府に大きな脅威を与えた。高師直および河内・和泉守護細川顕氏らは摂津天王寺・渡辺,河内石川河原などに顕家軍と連戦して,ようやくその進攻をくいとめた。なお顕家は5月6日以来和泉の堺浦に陣した幕府軍を攻めたが,師直・顕氏勢は反撃して22日顕家軍を敗走させ,顕家を石津に討ち取った。《太平記》などに顕家戦死の地を阿倍野とするのは誤り。この顕家の敗死は南朝方の戦力をいっそう低下させる結果となった。
執筆者:小川 信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報