朝日日本歴史人物事典 「韓智興」の解説
韓智興
7世紀後半の遣唐使人。白雉4(653)年5月,吉士長丹らと唐にわたり,斉明7(661)年5月に帰国した。『日本書紀』に「倭種」と記され,混血児説,渡来人説などがあるが,わかっていない。遣唐使としての身分,地位も明らかでない。斉明5年12月,同年渡唐した遣唐使一行を陥れるために,智興の従者西漢大麻呂が告げ口し,これに関連して智興も流罪となったが,許されたらしい。同7年帰国の途中,その従者東漢草直足嶋が落雷で死亡し,一行の怨みが天に通じたといわれたという。白雉5年にいったん帰国,再度渡唐したとする説もある。<参考文献>北村文治『大化改新の基礎的研究』
(東野治之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報