須志田村(読み)すしだむら

日本歴史地名大系 「須志田村」の解説

須志田村
すしだむら

[現在地名]国富町須志田

深年ふかどし村の南に位置し、中央を深年川が東流する。中世には呪師田じゆしだ名とよばれた。天正一六年(一五八八)八月四日の日向国知行方目録に「すし田」一六町とみえ、豊臣秀吉から高橋元種へ宛行われたが、慶長一八年(一六一三)元種の改易により一時幕府領となる。同一九年延岡藩有馬氏領となる。寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)では高五〇八石余。万治四年(一六六一)の延岡藩村高内検高覚では内検高七九〇石。元禄五年(一六九二)有馬氏の転封により幕府領となり、幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む