改易(読み)カイエキ

デジタル大辞泉 「改易」の意味・読み・例文・類語

かい‐えき【改易】

[名](スル)
改めかえること。更新すること。
中世、罪科などによって所領・所職・役職を取り上げること。
江戸時代、士分以上に科した刑罰。武士の身分を剝奪はくだつし、領地・家屋敷などを没収する刑。蟄居ちっきょより重く、切腹より一段軽い。

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精選版 日本国語大辞典 「改易」の意味・読み・例文・類語

かい‐えき【改易】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 改めかえること。更新。
    1. [初出の実例]「古記云〈略〉未知、令格之赴、并段積歩改易之義、請具分釈、无使疑惑也」(出典:令集解(738)田)
  3. 心変わり。違乱。違背。
    1. [初出の実例]「奉寄附妙見大菩薩神田之事〈略〉則至子々孫々、不改易者也、仍寄進状如件」(出典:日光院文書‐下・永正六年(1509)九月一二日・垣屋豊知寄進状)
  4. 所領、所職などを、罪によって取り上げること。改替(かいたい)
    1. [初出の実例]「天台座主明雲大僧正、公請を停止せらるるうへ〈略〉御持僧を改易せらる」(出典:平家物語(13C前)二)
    2. [その他の文献]〔漢書‐何武伝〕
  5. ( 族籍を改めかえる意 ) 江戸時代、士人に対する刑の一つ。士人の称を除き、領地、家祿、屋敷などを没収し平民とすること。蟄居(ちっきょ)より重く、切腹より軽い。
    1. [初出の実例]「もしあらは改易(カイヱキ)のもとひ、小身は流浪の基ひ、又は一命を断べきもとひ」(出典:評判記色道大鏡(1678)五)

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百科事典マイペディア 「改易」の意味・わかりやすい解説

改易【かいえき】

改易は本来は職務交替を表す語であったが,交替によって職を失う者に対して不利益処分となるところから,中世には懲罰的な意味をこめて所領・所職を取り上げることを意味した。江戸時代には蟄居(ちっきょ)より重く切腹より軽い,武士に対する身分刑として位置づけられ,改易に処せられた場合には武士身分を剥奪され,主君から拝領した領地・知行を没収された。これは封建的主従・俸禄関係の断絶を意味し,幕府法では武家の当主・嫡子に適用を限定した。徳川家康関ヶ原の戦で徳川氏に敵対した大名80余家を戦後,改易に処して取り潰したが,これらの没収地を幕府領に組み入れる一方,徳川一門・譜代大名を無主地に転封・配置して将軍権力の確立に努めている。幕府は改易を転封とともに大名統制策の基本とし,3代家光のころまでに外様大名を中心とする改易が盛んに行われたが,その後は譜代大名を中心とした改易となり,大名改易数そのものも減少している。
→関連項目磐城平藩椋橋荘慶安事件闕所大名徳川秀忠沼田藩磔茂左衛門武家諸法度宮津

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改訂新版 世界大百科事典 「改易」の意味・わかりやすい解説

改易 (かいえき)

改易の起源は律令制にもとづく官職制度に求められ,ある職の現任者を変更して新任者を補任することをいったが,鎌倉・室町時代においても,守護・地頭の変更を改易といい,そこには懲罰的な意味が含まれていた。しかし,改易という言葉が盛んに用いられたのは江戸時代,とくに徳川家康・秀忠・家光の初期3代将軍の間の大名改易である。当時改易とは,士分以上のものの籍を除いて,その知行,俸禄,家屋敷を没収することをいい,ほかに減封,転封,役儀召放などにも併用された。大名改易の第1の理由は軍事的理由によるもので,家康は関ヶ原の戦で徳川氏に反抗した外様大名88名を改易によって取りつぶし,ほかに5名の外様大名を減転した。両者を合わせると,没収総高は93名の632万4194石となる。しかし,〈元和偃武(げんなえんぶ)〉以降,戦争の終結とともに,軍事的理由による改易はなくなり,世嗣断絶と幕法違反が改易のおもな理由となった。世嗣断絶を改易の理由としたのは,武士の相続制よりきたもので,とくに厳禁したのは末期(まつご)養子の制(危篤に際し,急に養子を願い出る制度)であった。そのため世嗣断絶を理由とする改易は徳川系大名(親藩,譜代大名)にも適用された。また幕法違反による改易は,幕府の都合から出た政治的疑獄が多く,幕府はこれを拡大活用して,有力な外様大名を多数改易した。こうして,初期3代将軍によって改易された大名は,関ヶ原の戦後処理後,外様大名82名,徳川系大名49名,合わせて131名となり,没収総高は1214万8950石という膨大な額となる。幕府は,これらの没収地を直轄領(天領)に編入する一方,徳川系大名の取立てにあて,大名改易によって無主空白地となった地域に転封・配置し,外様大名に絶対優位する将軍権力を確立した。外様大名中心の大名改易は,4代家綱のころより変化し,5代綱吉の時代には,徳川系大名中心の改易に移行するが,これを境に大名改易は減少し幕末に至った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「改易」の意味・わかりやすい解説

改易
かいえき

本来は罪によって官職や身分を取り上げること。鎌倉時代には御家人(ごけにん)の地頭職(じとうしき)を奪うこと、江戸時代には士分以上のものの籍を除いて、知行(ちぎょう)・俸禄(ほうろく)・家屋敷を没収することをいい、ほかに減封、転封、役儀召放(やくぎめしはなち)などにも併用された。そのうち大名改易は江戸幕府の大名統制の基本をなすもので、世嗣(せいし)断絶、幕法違反をおもな理由とし、徳川家康・秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)の初期三代将軍によって強行された。その数は、関ヶ原の戦後処理後、外様(とざま)大名82名、徳川一門(親藩)・譜代(ふだい)大名49名、あわせて131名となり、没収総高は1214万8950石という膨大な額となる。こうして、改易は大名転封(国替(くにがえ))を促進するとともに、諸大名に絶対優位する将軍権力確立の要因となった。外様大名中心の大名改易は4代家綱(いえつな)のころより変化し、5代綱吉(つなよし)の時代は徳川一門・譜代大名中心の改易に移行するが、これを境に改易は減少し幕末に至った。

藤野 保]

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普及版 字通 「改易」の読み・字形・画数・意味

【改易】かいえき

改める。〔漢書、地理志上〕先王の迹く、地名(しばしば)改易す。是(ここ)を以て聞をし、迹を詩書に考へ、山川を推表す。

字通「改」の項目を見る

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「改易」の解説

改易
かいえき

古代では職務の交代改補のこと。職務を解くことが職務に付随する得分の剥奪に結びつくことから,中世には制裁的な得分剥奪をさす用法がうまれた。中世武家法では,所帯改易・所職(しょしき)改易のように,得分を対象とする制裁的な用法が主となり,罪科・落度に対応する刑罰・制裁としての所帯所職の収公処分をさすようになった。近世には,武家の当主ならびに嫡子に罪があったときに科される刑罰となり,主人との間の主従関係をたちきり,家臣としての身分やそれに付随する封禄を剥奪して,家屋敷も没収のうえ家を断絶させるものであった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「改易」の意味・わかりやすい解説

改易
かいえき

もと律令制で,官職を解いて他の者に任命する手続。のち,制裁の意味で荘官職や地頭職の没収をも意味するようになり,江戸時代には,大名の領地を没収し身分を奪う刑罰を意味した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「改易」の解説

改易
かいえき

罪によって官職や身分を取り上げる刑罰
古代では職務の交代を意味し,のち官職およびこれに伴う領地の権利を失う一種の制裁となった。武家法に受け継がれ,江戸時代には主人との主従関係の断絶,それによる知行地の没収,さらに武士身分の除去をさすに至った。

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世界大百科事典(旧版)内の改易の言及

【大名】より

…織豊大名は織豊両氏の家臣から近世大名に取り立てられたもの。丹羽,前田,藤堂,仙石,池田(岡山,鳥取),浅野,蜂須賀,山内,黒田,有馬,細川氏らで(福島,加藤,京極,生駒氏らは改易(かいえき)),北陸,中国,四国,九州に多い。徳川系大名は徳川氏の一門,家臣から近世大名に取り立てられたもので,さらに親藩譜代大名に分かれる。…

【天和の治】より

…これと並行して,前代に未解決であった越後高田藩の御家騒動(越後騒動)を親裁し,親藩筆頭の越後松平家を取りつぶしたのに引き続き,幕臣に対し仮借なく賞罰厳明の方策を励行した。そのため改易・減封処分を受けた大名は46家,旗本は100家余に達し,免職等の処罰もおびただしい数にのぼる。その発想は綱吉が幼少から愛好した儒学の理念に基づくのであろうが,とくにその対象が譜代層に向いており,幕政上伝統的に勢力を張ってきた譜代層を畏伏せしめ,将軍の権威を絶大にしようとする政治的意図がここに認められる。…

【召放】より

…鎌倉時代以降,おもに武士に対して行われた刑罰の一種。鎌倉幕府法では,召放はもっぱら所領(所帯)の没収を意味し,所領を召す,あるいは収公,改易とも称せられた。鎌倉時代には武士の所職と所領は不可分の関係にあり,所領の没収は武士に対する刑の根幹として広く行われた。…

【浪人(牢人)】より

…主家を持たない武士。江戸時代における浪人発生の最大の要因は,幕府による大名の改易,減封にあった。関ヶ原の戦や大坂の陣で敗者となり,また幕府の忌諱(きい)に触れ,幕法に違反し,あるいは世嗣の断絶などによって,徳川家康・秀忠・家光の3代,すなわち幕初の50年間に改易,減封となった大名は,実に217家,石高にして875万石余にのぼり,家光の晩年の1650年(慶安3)までに40万もしくは50万の浪人が発生したと推定されている。…

※「改易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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