日本歴史地名大系 「飯柄村」の解説 飯柄村いいがらむら 岐阜県:羽島市飯柄村[現在地名]羽島市竹鼻町飯柄(たけはなちよういいがら)新井(あらい)村・三柳(みつやなぎ)村の西に位置する大浦(おおうら)輪中内の村。西は狐穴(きつねあな)村で、「濃州徇行記」に「此村は狐穴村とつゞきの村にて竹木茂りたる所なり、村立も大体よし、(中略)民居八ケ処ほどにわかる」とある。延慶二年(一三〇九)三月六日の後宇多上皇院宣案(龍翔寺文書)に「中島郡飯柄郷」がみえ、後宇多上皇の離宮京都柳殿を南浦紹明(円通大応)を名目開山として龍翔(りゆうしよう)寺(現京都市北区大徳寺塔頭)を創建する際に寺領として寄進された。貞治六年(一三六七)一二月九日、荒尾泰隆は重代相伝の地である「中島郡賀野御厨内飯柄」を龍翔寺と同じ円通大応を開山とする妙興(みようこう)寺(現愛知県一宮市)に寄進している(「荒尾泰隆寄進状」妙興寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by