日本歴史地名大系 「飽波郷・飽波郡」の解説 飽波郷・飽波郡あくなみごう・あくなみぐん 奈良県:大和国平群郡飽波郷・飽波郡飽波郷は「和名抄」高山寺本・刊本ともに「阿久奈美」と訓ずる。「日本書紀」天武天皇五年四月五日条に「倭国の飽波郡」がみえるが、飽波郡は以後みられず、天平勝宝二年(七五〇)の官奴司解(東南院文書)には「飽浪村」とあり、早く平群郡に併合されたと思われる。天平一九年(七四七)の大安寺伽藍縁起並流記資財帳に聖徳太子の飽浪葦墻(あくなみのあしがき)宮がみえ、奈良時代まで離宮として飽浪宮が置かれた(続日本紀)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by