飽馬郷(読み)あきまごう

日本歴史地名大系 「飽馬郷」の解説

飽馬郷
あきまごう

和名抄」高山寺本は「安支末」、東急本は「安木末」と訓を付す。正倉院御物の揩布屏風袋の墨書に「上野国碓氷郡飽馬郷戸主□□□龍麻呂庸布壱段長二丈八尺、広二尺四寸」とある。「上野国神名帳」碓氷郡に「従三位飽馬明神」が記される。現安中市西上秋間にしかみあきまに飽馬神社が鎮座するが、祭神や小字名などからみて中秋間字宮原の大森みやはらのおおもり神社とされる。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)六月二二日条に飽間太郎がみえ、元弘三年(一三三三)五月一五日の板碑(東村山市徳蔵寺蔵)には飽間斎藤三郎盛貞・飽間孫三郎宗長らの名が刻まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む