餅飯殿町(読み)もちいどのちよう

日本歴史地名大系 「餅飯殿町」の解説

餅飯殿町
もちいどのちよう

[現在地名]奈良市餅飯殿町

橋本はしもと町の南に所在し、俗にモットノ町という。「奈良曝」に「町役四十軒」とみえる。「多聞院日記」文明一〇年(一四七八)八月一三日条所引の寛正五年(一四六四)の土器作手職宛行状に「餅井殿住人笠張」の七郎太郎の名がみえ、「大乗院雑事記」文明一二年六月一九日条の「七郷」(興福寺寺門郷)のうちの不開御門あかずのごもん郷に「公事足無餅飯殿」とみえ、「多聞院日記」永禄一〇年(一五六七)七月一三日条によれば放火によって大半が焼かれ、一一月一九日条にも「モチトノ郷焼了」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む