日本歴史地名大系 「奈良町」の解説
奈良町
ならまち
- 奈良県:奈良市
- 奈良町
現奈良市の中心部、興福寺・東大寺・
〔門前郷〕
奈良では平安後期以来、東大・興福両寺の門前郷の存在が確認でき、天治二年(一一二五)の僧某家地売券(お茶の水図書館文書)に「家地壱処事 合拾間者 在興福寺東郷氷室前」とある。これはのち興福寺寺門領の
もっとも平安末期に一応の発達をみた門前郷は、治承四年(一一八〇)の平重衡の南都焼討によって焼亡したと考えられる(玉葉)。これは東大・興福両寺をはじめその院坊などが焼討されたものであるが、その再建とともに諸郷の復興も活発に進んだようである。
鎌倉期に入ると興福寺郷・東大寺郷ともにその発達をみせるが、興福寺郷のそれが著しく、「春日社記録」中臣祐賢記の文永四年(一二六七)七月二二日条に「水屋河ノ榎本滝堀ウムヘシト衆徒僉儀有之、(中略)七郷民等ニモ被触遣之云々」とみえ、ここに興福寺寺務領南都七郷の原形がうかがえる。七郷は「大乗院雑事記」の文明一二年(一四八〇)六月一九日条に「七郷事仰両沙汰者注進之、奈良中南北七郷在所事」として七つの郷があげられているが、
奈良町
ならちよう
奈良町
ならまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報