デジタル大辞泉 「春日」の意味・読み・例文・類語
はる‐ひ【春日】
[名]春の日射し。また、春の一日。《季 春》「竹の風ひねもすさわぐ―かな/犀星」
[枕]春の日が
「―春日を過ぎ」〈武烈紀・歌謡〉
地名「かすが」に「春日」の文字をあてるのは、「あすか」に「飛鳥」をあてるのと同様、この枕詞から転じたもの。
兵庫県中東部、氷上郡(ひかみぐん)にあった旧町名(春日町(ちょう))。現在は丹波(たんば)市の東南部を占める一地区。1955年(昭和30)黒井町と春日部(かすかべ)、大路(おおじ)、国領(こくりょう)、船城(ふなぎ)の4村が合併して成立。2004年(平成16)柏原(かいばら)町、氷上町、青垣(あおがき)町、山南(さんなん)町、市島(いちじま)町と合併、市制施行して丹波市となる。旧町域は、由良(ゆら)川の支流竹田川が中央を貫流し、東部を京都府と接する。『和名抄(わみょうしょう)』の春日部郷、中世の春日部荘(しょう)の地。JR福知山線、国道175号が並行して走り、舞鶴若狭自動車道(まいづるわかさじどうしゃどう)と春日和田山道路を結ぶ春日ジャンクションと春日インターチェンジがある。三方を山に囲まれるが、竹田川沿いに平地が開け、農業のほか商工業も発達。1972年に国の自然休養村に指定され、京阪神から約2時間の距離を利して観光農業に力を入れており、モモ、ナシ、ブドウなどの観光農園がある。第3代将軍徳川家光の乳母(うば)春日局(かすがのつぼね)ゆかりの興禅寺を含む黒井城跡は、戦国時代の山城(やまじろ)の遺構を残し、国の史跡に指定されている。日ヶ奥渓谷は多紀連山県立自然公園に含まれ、キャンプ場もある。特産の春日ナス(丹波ナス)、スイートコーンは品質がよく各地に出荷される。
[二木敏篤]
福岡県中西部、福岡市の南に接する住宅都市。1972年(昭和47)市制施行。市名の起源は約1200年前、大宰少弐(だざいのしょうに)藤原田麻呂(たまろ)が奈良の春日神社の分霊を現在の春日原(かすがばる)に祀(まつ)ったことによるといわれる。南部は脊振(せふり)山地北端の低い小丘陵で、北部は御笠(みかさ)川の沖積低地が広がり、東端をJR鹿児島本線、西日本鉄道天神大牟田(おおむた)線が通じる。また、西端にJR博多(はかた)南線博多南駅がある。第二次世界大戦前は純農村であったが、戦後春日原の軍需工場跡地にアメリカ軍基地や陸上自衛隊が進出し、大野城(おおのじょう)市と並んで発展を始めた。その後、福岡市の発展に伴い住宅団地の建設が進展して住宅都市の性格を急速に強めており、人口が急増した。1664年(寛文4)の築造と伝えられる白水(しろうず)池や大牟田池などの灌漑(かんがい)用貯水池もその使命が薄れてきた。1972年アメリカ軍基地は国に返還され、跡地には九州大学筑紫(つくし)キャンパスや県立春日公園がつくられた。国指定特別史跡の大土居(おおどい)・天神山(てんじんやま)の水城跡(みずきあと)、国指定史跡の日拝塚古墳(ひはいづかこふん)や、須玖(すぐ)の弥生(やよい)遺跡(登録名「須玖岡本遺跡」)があり、「春日の婿押(むこおし)」(春日神社)は国の重要無形民俗文化財に指定されている。また春日市奴国(なこく)の丘歴史資料館もある。面積14.15平方キロメートル、人口11万1023(2020)。
[石黒正紀]
『『春日市史』全4巻(1994~1995・春日市)』
愛知県北西部、西春日井郡(にしかすがいぐん)にあった旧町名(春日町(ちょう))。現在は清須(きよす)市の北部を占める地域。旧春日町は1990年(平成2)町制施行。2009年(平成21)清須市に編入。中央部を五条川が貫流する。自然堤防の微高地は根菜類の適地で江戸時代から宮重(みやしげ)大根の特産地であったが消滅し、宮重大根発祥の記念碑が残る。現在はホウレンソウ、ニンジン、エダマメなどの野菜栽培が盛ん。名岐(めいぎ)バイパス(国道22号)、名古屋高速道路一宮線が通じ、清洲(きよす)東インターチェンジで名古屋第二環状自動車道と接続するなど、交通の要所となり、工業化、住宅化が激しい。弥生(やよい)時代の竹村貝塚、寅(とら)ヶ島遺跡がある。五条川堤のサクラ並木は有名。
[伊藤郷平]
『『春日村史』(1961・春日村)』
岐阜県南西部、揖斐郡(いびぐん)にあった旧村名(春日村(むら))。現在は揖斐川町の南西部を占める地域。旧春日村は2005年(平成17)谷汲(たにぐみ)、久瀬(くぜ)、藤橋(ふじはし)、坂内(さかうち)の4村とともに揖斐川町と合併。旧村域は、揖斐川の支流粕川(かすがわ)の上流域にあたり、耕地が狭小で南向きの急傾斜地まで畑として利用され、茶、コンニャクイモなどが栽培されてきた。近年は大垣など地域外方面へ通勤する者が増えている。西部の滋賀県境に伊吹山(いぶきやま)(1377メートル)がそびえ、付近は揖斐関ヶ原養老国定公園の一部。
[上島正徳]
『『春日村誌』上下(1983・春日村)』▽『『春日村史』(2005・春日村)』
福岡県西部の市。1972年市制。人口10万6780(2010)。福岡市の南に接し,低い丘陵と洪積台地が広がり,白水(しろうず)池など多数の溜池が散在する。弥生銀座といわれるほど遺跡が多く,第2次世界大戦前は純農村であった。戦時中に東部の鹿児島本線雑餉隈(ざつしよのくま)駅(現,南福岡駅)付近に大軍需工場がつくられ,戦後その跡地を中心に広大な米軍キャンプ,さらに警察予備隊第4管区総監部(現,陸上自衛隊第4師団司令部)などが設けられて都市化が始まった。1950年代からは福岡市の中心から西鉄で約15分の便利さのため郊外住宅地として急激に発展し,現在は福岡市南部市街地と連続する住宅街を形成している。72年に返還された米軍キャンプ跡は九州大学筑紫キャンパスなどに利用されている。須玖(すぐ)遺跡出土の銅矛鎔笵(どうぼこようはん)(重要文化財)を蔵する熊野神社,むこおこし(県無形文化財の婿いじめ儀礼)で知られる春日神社,出土品収蔵庫などがある。
執筆者:土井 仙吉
現在の奈良市の春日大社から白毫寺(びやくごうじ)付近の歴史地名。古代において大和国添上郡春日郷の地名があり,また条里制の里名にも春日里,上春日里の呼称がみえる。このあたり一帯は,より古くは春日県(あがた)が置かれ,大和朝廷の支配が早くから及んだ地域であった。《日本書紀》によれば,開化天皇の春日率川(いさがわ)宮が置かれたと伝える。なお,大和北部の豪族としては和珥(わに)(丸邇)氏があったが,その一族でこの地に蟠踞していたものは春日氏を名のった。奈良時代には,春日村,春日野などの呼称がみえ,皇族・貴族の別荘が営まれていた。元明天皇のときには春日離宮があり,聖武天皇の別荘は後に東大寺に春日荘として施入された。この春日荘という荘園は古代末まで存続したようである。なお,春日山,御蓋(みかさ)山では古来地主神が祭られていたが,奈良時代後期には藤原氏の氏神として春日社が勧請され,現在の春日大社となった。
執筆者:櫛木 謙周
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…29年いわゆる紫衣(しえ)事件のさなか,局は秀忠の内意をうけて上洛し,参内して後水尾天皇に拝謁した。このとき春日の局号を賜って,公家三条西実条の猶妹となった。局との縁故で幕府に登用されたものは多く,夫正成は大名,子正勝は老中,兄斎藤利宗・三存,女婿堀田正吉は旗本,なかでも正吉の子正盛は老中をへて家光側近随一の重臣に取り立てられた。…
※「春日」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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