馬平村(読み)まひらむら

日本歴史地名大系 「馬平村」の解説

馬平村
まひらむら

[現在地名]会見町朝金あさかね

坪屋つぼや村の東、朝鍋あさなべ川中流域、朝鍋谷の出口に位置する。「ばひら」とも称した。拝領高は一三〇石余、本免は四ツ六歩。藪役銀七匁が課せられていた(藩史)幕末の六郡郷村生高竈付では生高一四四石余、竈数一五。「伯耆志」では家数一六・人数七六、林八町六反余。享保九年(一七二四)荻名おぎな村地内大谷おおたに山の入会をめぐり寺内てらうち村など一一ヵ村と山論を起こした星川ほしかわ谷一〇ヵ村の一で、同一三年長者ちようじや原続きの小原山・五輪原などの入会をめぐって青木あおき(現米子市)など山下五ヵ村と争った里方二一ヵ村の一(在方諸事控)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む