駄経寺村(読み)だきようじむら

日本歴史地名大系 「駄経寺村」の解説

駄経寺村
だきようじむら

[現在地名]倉吉市駄経寺町・駄経寺町二丁目・上灘町うわなだちよう新陽町しんようちよう昭和町しようわまち一丁目

神坂かんざか村の東に位置し、倉吉往来(鹿野道)が通る。地名は当地に安淵山駄経寺という寺院が所在したことによるといい、同寺は戦国時代に焼亡、退転したと伝える(伯耆民談記)。藩政期の拝領高は二八四石余、本免は五ツ四分。倉吉荒尾氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高三一六石余、竈数一〇余、村内に新宮しんぐう(真宮)大明神(現新宮神社)を祀る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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