改訂新版 世界大百科事典 「高串荘」の意味・わかりやすい解説
高串荘 (たかくしのしょう)
東大寺領の初期荘園。越前国坂井郡海郷にあった。現在の福井市西北郊,白方町付近に比定されるが,正確な位置は不詳。764年(天平宝字8)2月の〈越前国司公験〉によれば,同荘は左京六条二坊に本貫をもつ正八位下間人鷹養から銭33貫で東大寺が前年購入した高串芦原9町3段144歩と草屋2間,家地1町に始まる。当初の見開は7町2段144歩,未開2町1段であった。その後東大寺が荘園経営の強化を図った766年(天平神護2)10月の〈越前国司解〉には,串方村として見え,百姓墾田の買得,口分田・乗田の改正による荘域の一円化の結果が記されている。また同じ日付の〈東大寺開田図〉の中の〈高串村東大寺大修多羅供分田地図〉の端書によると,全面積は10町,見開6町,未開4町。この図には荘域の東に東西幅1町半,南北幅6町に及ぶ串方江とその中を泳ぐ魚の姿が描かれている。同荘は串方江の存在や高串芦原といわれたように低湿地であり,見開田数の減少にも見られるように経営はうまくいかず,その後史料から姿を消し早く廃絶したらしい。
執筆者:館野 和己
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報