20世紀日本人名事典 「高原操」の解説 高原 操タカハラ ミサオ 大正・昭和期の新聞人 生年明治8年12月(1875年) 没年昭和21(1946)年11月21日 出生地福岡県 別名号=蟹堂 学歴〔年〕東京帝国大学文科大学哲学科〔明治34年〕卒,京都帝国大学法科大学〔明治39年〕卒 経歴明治39年大阪朝日新聞社に入社、経済課に勤務し、大正5年経済部長に就任。7年取締役に就任し、臨時編集局長、9年編集局長、次いで大阪朝日新聞主筆となり、蟹堂の号で論陣をはり、昭和初期には軍部のファッショ化に抵抗し批判を続けた。昭和15年取締役を退任し、名誉主筆となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高原操」の解説 高原操 たかはら-みさお 1875-1946 明治-昭和時代前期の新聞記者。明治8年12月生まれ。大阪朝日新聞社に入社,経済部長をへて大正7年取締役に就任。編輯局長,主筆などをつとめ,普選推進と軍縮で論陣をはり,昭和初期の軍部の大陸侵攻を批判した。昭和21年11月21日死去。72歳。福岡県出身。京都帝大卒。号は蟹堂。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by