日本歴史地名大系 「高貫村」の解説 高貫村たかぬきむら 茨城県:常陸太田市高貫村[現在地名]常陸太田市高貫町真弓(まゆみ)山の西麓にあり、北は長谷(はせ)村。文禄四年(一五九五)七月一六日付の御蔵入目録(秋田県立図書館蔵)に「竹貫」とあり、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「高貫村」とみえる。「新編常陸国誌」によると明和元年(一七六四)の戸数九三・人口一九〇、文化二年(一八〇五)には七七戸。天保一三年(一八四二)の検地では田畠七七町余、分米七五五石余、新田田畠二町余、分米九石余であった。寛文三年(一六六三)の開基帳(彰考館蔵)によると、真言宗の高伯山長末寺延命院とその門徒浄輪(じようりん)院、山伏本山派長谷(はせ)村密蔵(みつぞう)院下住の大光(たいこう)院などがあった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by