出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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延命院
えんめいいん
[現在地名]岩井市神田山
神田山集落ほぼ中央の西に所在。神田山と号し真言宗智山派。本尊延命地蔵菩薩。平将門の胴塚があるところとして有名。江戸時代には五石の朱印地があった(村明細帳)。谷原光不動堂と観音堂が建つ。不動堂の北に将門の死体を埋めたという将門山(胴塚)がある。境内に天保六年(一八三五)の延命院復興記の碑があり、「下総猿島郡神田山村延命院係言家僧宗助開基而法印来正之所中興也、後数十世浄信者住之時寛政三年寺罹災併仏像諸具悉帰烏有、有如心者継住之時法衆勠力再建本堂而其余復旧未果如心既去、爾後又無住僧益頽廃焉至文化五年宥興公来住焉、興公郡幸田村人為厳井村延命寺住僧宥宜弟子其既来於此也甚慨談林法苑至於如此之頽廃奮然有興復之志、居数年漸次復旧自仏像及三壇諸法具以至大小堂廡什宝府庫咸備又置圃若干畦田若干畝附之遂儼然為一巨刹(下略)」とある。
延命院
えんめいいん
鮎喰川下流域の現国府町延命付近一帯に比定される。久安二年(一一四六)七月一一日の河人成俊等問注申詞記(愚昧記仁安二年冬巻裏文書)に「法勝寺末寺延命院所司」とみえるのが唯一の史料である。同問注申詞記には寺院の名称のみで庄号は付されていないが、延命院が寺領とともに白河天皇の祈願寺法勝寺(現京都市左京区)の末寺となり、庄園としての支配を受けたと考えられる。前掲問注申詞記は、当時当地を舞台に発生していた訴訟事件にかかわる記録で、京都の法廷での当事者に対する尋問を書留めたものである。
延命院
えんめいいん
[現在地名]宇都宮市泉町
旧日光街道東の台地上にあり、真言宗智山派、摩尼山と号し、本尊の地蔵尊は秘仏。古くは天台山宝錫寺と称し、宇都宮城内地蔵堂に本尊を祀る。永正一三年(一五一六)良範の時に延命院と改称し、真言宗となる。天正一〇年(一五八二)現在地に移転したという。松平忠弘時代の城下図(東大史料編纂所蔵)には記されない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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延命院
(通称)
えんめいいん
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 花舞台団若曾我 など
- 初演
- 安政1.7(江戸・市村座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の延命院の言及
【延命院日道】より
…江戸,日暮里の延命院の住職。寛政年間(1789‐1801)に住職となり,寺中の七面明神(安産・現世利益などに効験ありと信仰される)に参詣の婦女と密会,堕胎まで行ったとして,1803年寺社奉行脇坂安董の手で死罪となった。…
※「延命院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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