長谷(読み)ながたに

日本歴史地名大系 「長谷」の解説

長谷
ながたに

[現在地名]左京区岩倉長谷町

平安時代中期の歌人権大納言藤原公任が晩年出家してこの地に隠棲し、山荘を営んだため、公任にかかわる詠歌が多い。歌学書「八雲御抄」は渓の項にあげるが、歌の中に直接に詠みこんだ例は少ない。


長谷
ながたに

現門司区長谷に比定する説があるが、所在地を確定しえない。嘉暦二年(一三二七)一〇月一六日の鎮西裁許状案(大川文書/鎌倉遺文三七)に引用された正応元年(一二八八)九月二五日の下長谷村配分状によれば、岩門合戦の勲功賞として大河行長に「豊前国下長(谷カ)」田地五町一段大が配分されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長谷」の意味・わかりやすい解説

長谷(神奈川県)
はせ

神奈川県鎌倉市の一地区江ノ島電鉄の長谷駅から長谷寺高徳院鎌倉大仏)にわたる一帯をいう。江戸時代、東海道から三浦半島への通行者のための人馬の継立(つぎたて)地とされ、人家が集まり旅籠(はたご)もあって小宿場的町場をなしていた。海浜は鎌倉海岸の西部にあたり、現在は海水浴客や修学旅行でにぎわう。銅造阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏。国宝)と長谷寺の木造十一面観音(かんのん)立像は鎌倉観光のシンボル。また鎌倉文学館、吉屋信子記念館がある。

[浅香幸雄]



長谷(長野県)
はせ

長野県中南部、上伊那郡(かみいなぐん)にあった旧村名(長谷村(むら))。現在は伊那市の南東部を占める。旧長谷村は1959年(昭和34)美和(みわ)、伊那里の2村が合併して成立。2006年(平成18)伊那市に合併。旧村域は赤石山脈(南アルプス)と伊那山地に挟まれた赤石構造谷に沿う山村で、約97%は山林原野近世高遠(たかとお)藩領で、木材を年貢として納め、木地師(きじし)の集落も各地にあった。国道152号(秋葉(あきは)街道)が通じ、市野瀬(いちのせ)集落は街道筋のおもかげを残している。南アルプスを横断するスーパー林道も開通し、山梨県境の北沢峠には村営の北沢長衛(ちょうえ)小屋がある。三峰(みぶ)川には美和ダムがあり、人造湖の美和湖が出現した。

[小林寛義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長谷」の意味・わかりやすい解説

長谷
はせ

長野県南東部,伊那市南東部の旧村域。赤石山脈北部の西斜面に位置する。 1959年伊那里村と美和村が合体して長谷村が成立。 2006年伊那市,高遠町と合体して伊那市となった。集落は伊那山地と赤石山脈に挟まれた三峰川の谷に沿う。地名の由来も谷間に集落が細長く存在するところからきたといわれる。 1959年に完成した人造の美和湖や入笠高原,鹿嶺高原などがあり,観光開発が進む。駒ヶ岳仙丈ヶ岳塩見岳などがそびえる東部は南アルプス国立公園に,中北部の三峰川流域は三峰川水系県立自然公園に属する。

長谷
はせ

神奈川県南東部,鎌倉市南部の地区。西から鎌倉に入る大仏切通し (史跡) と極楽寺切通しの合する地点にあり,長谷 (ちょうこく) 寺の門前町として発達。長谷寺の本尊十一面観音は長谷観音とも呼ばれ,参詣者が多い。北部には鎌倉の大仏 (国宝) で知られる高徳院がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「長谷」の意味・わかりやすい解説

長谷 (はせ)

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世界大百科事典(旧版)内の長谷の言及

【泊瀬】より

…奈良県桜井市東部の初瀬川渓谷の総称。初瀬,長谷とも書く。現在は〈はせ〉と発音する。…

【泊瀬】より

…奈良県桜井市東部の初瀬川渓谷の総称。初瀬,長谷とも書く。現在は〈はせ〉と発音する。…

※「長谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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