日本歴史地名大系 「鬼窪郷」の解説
鬼窪郷
おにくぼごう
鎌倉―南北朝時代にかけて活躍した野与党に属する鬼窪氏の本拠地。正平七年(一三五二)正月日の高麗経澄軍忠状(町田文書)に「鬼窪」とみえ、観応二年(一三五一)一二月一七日、反足利直義派の高麗経澄らは上杉憲顕を討つため当地で旗を揚げ、翌一八日には同地を発ち、所々で合戦をしながら同三年一月一日、伊豆国府の足利尊氏のもとへ馳せ参じて尊氏とともに鎌倉に入っている。さらに閏二月一七日鎌倉を発った経澄は、二〇日の人見原合戦や二八日の高麗原合戦で戦っているが、この両合戦には鬼窪弾正左衛門尉・同左近将監らも高麗氏と行動を共にしているところから(正平七年三月日「高麗経澄軍忠状」同文書)、鬼窪氏は本拠地鬼窪で旗揚げに加わっていた可能性が高い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報