鮎貝槐園(読み)アユカイ カイエン

20世紀日本人名事典 「鮎貝槐園」の解説

鮎貝 槐園
アユカイ カイエン

明治〜昭和期の歌人



生年
文久4年1月4日(1864年)

没年
昭和21(1946)年2月14日

出生地
陸前国気仙沼(宮城県)

本名
鮎見 房之進

別名
号=薊の家,松の家

学歴〔年〕
東京外語朝鮮語科卒

経歴
兄落合直文が明治26年あさ香社を創設した際に、与謝野鉄幹と共に活躍する。「あさ香社詠草」に多くの歌を発表し、「二六新報」和歌欄の選者もした。27年渡鮮し、京城に5つの小学校を創設して、その総監督を務めた。後に京城で実業家となり、朝鮮総督顧問も務めた。その一方で朝鮮の考古学、古美術研究にも力を注ぎ「雑攷」全13巻を著した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鮎貝槐園の言及

【落合直文】より

…一高,国学院などで教鞭をとるかたわら国語国文学の普及に力をそそぎ,《日本大文典》(1894‐97),国語辞典《ことばの泉》(1898‐99,のち《言泉》)などを出した。1888年長編叙事詩《孝女白菊の歌》で名声を得,93年4月にあさ香社を創立,実弟鮎貝槐園(かいえん),与謝野鉄幹らの俊秀を集めて新派和歌の基礎を築いた。没後刊行の《萩之家遺稿》(1904),《萩之家歌集》(1906)などがある。…

※「鮎貝槐園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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