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考古学 こうこがく archaeology

翻訳|archaeology

7件 の用語解説(考古学の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

考古学
こうこがく
archaeology

人間の過去の文化の発展を,その遺物を通して研究する学問。広い意味での歴史学の一分野を占める。特に記録のない時代については,考古学によって研究される部分がほとんどであるといってもよい。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

こうこ‐がく〔カウコ‐〕【考古学】

遺跡や遺物によって、古い時代の人類の生活・文化を研究する学問。

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監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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百科事典マイペディアの解説

考古学【こうこがく】

遺跡,遺構,遺物から,それを残した人類の過去の文化を研究する学問。18世紀まではヨーロッパでは古代ギリシアローマの美術遺物が研究対象の主流であったが,19世紀以来北欧を中心に,先史時代も対象とする研究が発達した。

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防府市歴史用語集の解説

考古学

 昔の人が残した物や生活の跡から、歴史を探る学問のことです。明治時代になって、”archaeology”という英単語の訳として使われるようになりました。

出典|ほうふWeb歴史館
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世界大百科事典 第2版の解説

こうこがく【考古学 archaeology】

物質資料を用いて人類の過去を研究する学問。明治初期から英語アーケオロジーの訳語として用いられ,当初は〈古物学〉という訳語と併存したが,まもなく〈考古学〉に統一された。アーケオロジーは古代学,古伝承を意味する古代ギリシア語アルカイオロギアarchaiologiaに由来することばである。 考古学が利用する資料は,人間の活動にかかわるすべての物的証拠である。土器,石器,家,墓のように人間が積極的に製作構築したものの痕跡はもちろん,運搬したが利用しなかった原材,製作途上で放棄された未成品,失敗品,さらに,石器製作の際に生じる石屑,食べ残しの魚骨,獣骨,木の実の殻,人畜の排泄物のような生活残滓,足跡のような無意識に残された痕跡にいたるまでが資料になる。

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大辞林 第三版の解説

こうこがく【考古学】

遺跡・遺構・遺物を考察することにより過去の人類の文化を研究する学問。 → 先史学

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

考古学
こうこがく

「考古」という語は、中国では宋(そう)代から用いられているが、「考古学」という学問の名は、明治時代の中ごろ、英語のarchaeologyの訳語としてつくられ、中国の学界もまたこれに倣ったものである。[角田文衛]

考古学の概念と本質

ヨーロッパ諸語の考古学を示す語は、古代ギリシア語のarkhaiologiaに由来するが、これは、「古代の」「最初の」を意味するarkhaiosと「学」を示すlogosとの結合した語である。プラトンをはじめとしてギリシアの著述家の作品に見受けられる限りでは、それは「古代についての物語」または「古代の歴史」の意味であった。
 現在、アメリカの考古学者や社会人類学者を例外として、一般に採用されているのは、「考古学は、遺跡・遺物によって人間の過去を研究する学である」という定義である。これは、1899年イギリスのホガースD. G. Hogarth(1862―1927)が提案し、日本では浜田耕作が採用した定義であるが、現代ではこれに反対する風潮も強い。なぜならば、遺物・遺跡を資料にしようと、文献を用いようと、人間の過去を研究する学問は歴史学だけであって、考古学ではないからである。この定義の背景には、歴史学は文献に基づいて歴史を研究するといった19世紀的な考え方が伏在しているのである。
 今日、研究の実情に即した定義を思索してみると、もっとも適切なのは、考古学を古代遺物学と規定することである。遺物学は、歴史学の一部門をなす史料学の一分科であって、遺物・遺跡を通じて歴史学の研究を補助する方法学である。考古学は、文献を資料とする文献学とともに史料学の双手をなしている。古代に関する遺物学が「考古学」の名で強く前面に押し出されているのは、200万年にもわたる古代には同時代的文献がまったくないか、あっても数量的に限られているからである。それだけに、歴史を研究するうえで古代の遺物・遺跡のもつ比重は大きい。中世考古学、産業考古学といった用語もみられるが、それらは正しくは中世遺物学、産業遺物学のことなのである。考古学すなわち古代遺物学は、史料学の一分科なのであるから、考古学と歴史学とは同一平面上で相対するものではない。歴史学は歴史を研究する本質学であり、考古学は古代の遺物・遺跡を調査・研究し、それによって得られた成果を歴史学に提供する方法学なのである。[角田文衛]

考古学の歴史

遺物・遺跡を通じて古代を探究しようとする試みは、紀元前にさかのぼっている。すなわち、新バビロニア帝国のナブナイド王(前6世紀)は、バビロニアの歴史に関心が深く、シャマシュ神殿を発掘しアッカド時代の神殿跡を発見したのは、考古学的研究の嚆矢(こうし)とされる。またギリシアの歴史家トゥキディデス(前5世紀後半)は、その『歴史』のなかで、古墓から発見された武器やその埋葬様式のうえから、デロス島の先住民がカリア人であったことを証明しようと試みている。しかしこれらは考古学史上の狂い咲きであって、あとが続かなかった。一方、中国でも古銅器の研究は、『考古図』や『宣和博古図』にみられるとおり、11世紀末葉から12世紀にかけて盛んに行われたけれども、そのまま近代的な学術に成長することはなかった。
 ヨーロッパでは古物に対する関心は16世紀後半からようやく高まってはいたが、考古学の名に値する研究は、ドイツのウィンケルマンを待たねばならなかった。ウィンケルマンは、作品自体に基づいてギリシア・ローマの古美術を研究したが、デンマークのトムセンは、遠古の歴史を石器時代、青銅器時代、鉄器時代に三分し、これによってあまたの遺物を整理し、文化の発展を跡づけ、先史研究の開祖となった。またフランスのブーシェ・ドゥ・ペルトBouch de Perthes(1788―1868)は、旧石器時代研究の道を開いた。しかしもっとも広範かつ旺盛(おうせい)に研究が進められていたのは、ギリシア・ローマの美術品を中心とした考古学であって、この種の研究に対してドイツのハイネCh. G. Heyne(1729―1812)は、考古学arkhaiologiaということばを復興・使用したのであった。
 19世紀は、考古学にとって大発展の時期であって、ニネベ、バビロン、ペルガモン、プリエネ、オリンピアなどの大規模な遺跡が続々と発掘調査されたし、シュリーマンによるトロヤの城市の発見・発掘は、エーゲ海、ギリシア方面における前古典文化を究明する端緒をなし、いわゆる先史文化と古典文化が異質のものではなく、前者は段階的に後者に連結することも明らかとなり、先史研究は、先史考古学として考古学の領域に入ることも確認された。
 20世紀の前半には、二つの世界大戦があって、考古学の研究調査も阻害されたが、調査の手はエジプト、西南アジア、インド、中国、朝鮮半島や日本にも伸び、面目は一新された。ヨーロッパにおける洞窟(どうくつ)壁画の調査、ブルイユH. Breuil(1877―1961)による旧石器時代編年の研究、モンテリウスによる型式学的研究法の確立、ローベルトによる考古解釈学の理論化などは注目される。日本では、浜田耕作らの学者が中心となって研究調査を推進した。帝政ロシアにおける考古学的研究調査は、ウバーロフ夫妻を推進者として活発に進められていたが、十月革命以後はしばらく停滞を余儀なくされていた。
 大規模な調査は依然として続行されたが、とくにエバンスによるクノッソス王宮址(し)、ヘルツフェルトE. Herzfeld(1879―1948)によるペルセポリス、マーシャルJ. H. Marshall(1876―1958)によるモヘンジョ・ダーロの発掘調査などは特筆される。古くから続けられているポンペイやヘルクラネウムの発掘も、マイウーリA. Maiuri(1886―1963)によって面目を一新した。第一次世界大戦後に独立または体制を改めた新興国(フィンランド、ハンガリー、チェコスロバキア、トルコなど)においても、研究調査は軌道に乗った。中国河南(かなん/ホーナン)省安陽(あんよう/アンヤン)市郊外にある殷墟(いんきょ)の発掘は、甲骨文字の発見などに重点が置かれすぎたため、予期されたほどの成果をあげなかったが、同じ河南省や甘粛(かんしゅく/カンスー)省でアンダーソンが彩陶を伴う遠古の諸文化を発見し、これを編年した功績も忘れがたい。それは、パセックJ. S. Passek(1903―68)による南ロシアのトリポリエ文化の研究と相まって、古代ユーラシアの彩文陶器文化の問題に学界の関心をひいたのであった。
 第二次大戦後から今日に至る40年間に考古学の研究調査は大躍進を遂げ、これに並行して重要な遺物・遺跡が次々と発見・調査された。なかでも特記されるのは、東アフリカにおける最古の旧石器諸文化の研究、メソポタミア、シリア方面における農耕・牧畜の起源の研究などである。旧ソ連は停滞性をかなぐり捨て、全土にわたって猛烈な調査を始めたし、古文物の宝庫である中国においても、重要な発見、調査は続々と行われている。どの国においても発掘調査の密度が濃くなったが、これまで調査が手薄であった諸地域――東アフリカはむろんのこと、グリーンランド、サハラ砂漠、カラクム砂漠、アルタイ山地、沿海州、タイ、ビルマ(現ミャンマー)など――でも活発な研究調査がみられるに至った。これらによって古代世界の様相は、以前とは比べものにならぬほど判然としてきた。
 これらに即応して調査法、保存法にも目覚ましい進展がみられた。とくに日本の考古学界は、精密な発掘法で知られている。航空写真、これを用いた地形測量、風船による俯瞰(ふかん)写真などは日常茶飯事となった。年代決定には、放射性炭素(14C)法をはじめとして物理学や化学の面から強力な援助を被ったし、X線写真による銘辞や文様の解明も、好成績をあげている。電波探知機による地下の状態の探査などは普通のこととなったが、最近ではファイバースコープによる地下空間の探究が注意をよんでいる。
 そうした自然科学的諸方法の援助を得て、発掘調査や出土遺物の屋内での研究は著しい成果をもたらし、どの国においても、調査報告、遺物の集成や図録、文献目録、論集、雑誌の類が怒濤(どとう)のように氾濫(はんらん)し、いまや考古学者たちは、これら膨大な文献との応接に追われて困憊(こんぱい)しているし、他方では学問をするうえで木を見て森を見ない弊害も生じている。
 アメリカの考古学者たちは、2群に分けられる。第一は、旧大陸各地(エジプト、イラク、シリア、イスラエル、ギリシア、イタリアなど)の考古学を専攻する人々であり、他は、主として先コロンブス時代の新大陸の住民を研究対象とするグループであって、後者は前者と区別するため、アメリカニスト考古学とよんでおくが、彼らは一般の考古学とアメリカニスト考古学を区別せず、後者をも単に「考古学」とよんでいる。
 アメリカニスト考古学は、発展途上で一般考古学(旧大陸の考古学)の影響を被りはしたが、第一次大戦以後は民族学や社会人類学との連携を強め、独自の路線をたどるに至った。たとえば、北アメリカの大学教育では、(アメリカニスト)考古学は、自然人類学、文化人類学(民族学、社会人類学)とともに人類学科の1科目とされている。その任務は、新大陸における先コロンブス時代の住民――住民の歴史ではない――を遺物・遺跡を通じて研究するにある。つまりアメリカニスト考古学は、文化人類学の一部門であって、歴史学における史料学の一半をなす一般考古学とは似て非なるものである。こうした学問の存在を許容したとしても、なぜそれを考古学とよぶのかが疑問とされる。とくに1960年代以後はニュー・アーケオロジー(新アメリカニスト考古学)が提唱され、史料学の一部門としての一般考古学との乖離(かいり)は増幅された。根本的な立場の相違は、一が歴史学の史料学とみなすのに対して、他はこれを人類学の一部門と認めることにあるのである。[角田文衛]

考古学の分科

考古学には、その研究分野の別によって、さまざまな分科が設けられている。かつては先史考古学、原史考古学、歴史考古学の3分科が流行したが、これにはいろいろと批判があり、欧米では最近あまり見受けられなくなっている。現在のヨーロッパ学界では、前古典考古学と古典考古学との二つに考古学を分ける傾向がある。また三時代法の区分に従って、石器時代学、青銅器時代学、鉄器時代学の3分科を提唱する学者もいる。
 しかしもっとも一般的なのは、地域に基づく分科であって、日本考古学、スカンジナビア考古学、シベリア考古学などがそれである。ギリシア考古学は、今日のギリシア共和国ではなく、それよりもっと広い、古代のギリシア世界を領域として設定された分科である。また早くから美術考古学が提唱されているし、さらに仏教考古学、神道(しんとう)考古学、聖書考古学、キリスト教考古学のような宗教に基づく分科も存する。最近では、実験考古学や環境考古学といった分科も設定されている。
 考古学の研究には、種々な学問との協力が不可欠であるし、一つのテーマに対する学際的研究の一端を考古学が担う場合もある。協力関係では、とくに地質学、岩石学、古人類学、古生物学、地理学、建築学、統計学、文献学などは、もっとも縁の深い学問である。最近では、年代決定や遺物・遺跡の保存、復原などに関連して、物理学、化学、金属学その他との連係が強くなっている。また古銭学、銘辞学(金石学)、象徴学、印章学、図像学などの研究分野は、考古学のそれと部分的に重複しており、それぞれが考古学と不可分の関係をもっている。[角田文衛]

考古学の研究法

考古学の研究は、遺物・遺跡の調査から始まる。遺物には、伝世したもの(正倉院の宝物のような)、地上に散布しているものも存する。遺跡には、遺構として地上に露呈しているものもある(パルテノン、法隆寺五重塔、敦煌(とんこう/トゥンホワン)の千仏洞などのような)。しかし遺物・遺跡の多くは、埋蔵文化財として、地下まれには水中に遺存している。したがって調査は、野外で行われることが多い。野外における考古学的調査は、野外考古学、田野考古学(中国での名称)とよばれることがある。野外調査には、ある地域の諸遺跡を発見し、分布図をつくったり、遺跡のだいたいの性格を調べたりする踏査、遺構を清掃し実測する臨地調査、個々の遺跡を掘って調べる発掘などの別がある。
 発掘の方法は、住居跡、集落跡、社寺の遺跡、窯跡、城塞(じょうさい)跡、墳墓、それらを複合した都市遺跡などによっていくらか相違するが、いずれの場合でも、順序を追ってすこしずつ掘り進め、絶えず実測や撮影を試み、遺物の出土位置や層の状態についての記録をとりながら実施する必要がある。土色、土質の変化には留意し、層序や、相重なる建物跡の切り込みなどを鋭く識別せねばならない。人間やウシなどの足跡、轍(わだち)の跡なども看過してはならない。発掘は、ある意味では遺跡の破壊につながり、一度掘った遺跡は二度と原状には復しない。そのため、発掘は努めて慎重に進める必要がある。近年、考古学の研究は著しく進歩し、それにつれて発掘技術もきわめて精巧となっているから、発掘担当者は、最新の発掘技術を駆使しながら注意深く、急がずに発掘を進めねばならない。なお、遺跡、とくに貝塚、住居跡、古墳内部などにあった土壌はそのまま捨てず、分析のため全部または一部分を保管するが、とくに肉眼では識別されずに混入している花粉や火山灰などには注意を要する。土壌はていねいに水洗いし、微細な遺物はもちろんのこと、植物の種子や魚類の小骨を採取する必要がある。発掘後の埋め戻しも、その遺跡の保存や将来における再調査をよく考慮し、慎重に実施せねばならない。
 踏査や発掘で得られた遺物は、まず整理されねばならない。これを屋内作業といい、水洗い、清掃、接合、修理、復原、分類、取拓、実測、撮影、記述といった順序で作業が進められる。遺跡や遺物の実測図は、適当なスケールのもとにトレースされる。
 ついで真の研究段階となるが、まず必要なのは、遺物・遺跡の年代の決定である。考古学上の年代には、相対年代と絶対年代との区別がある。BはAより新しく、Cより古いとする相対年代は、発掘の際に得られた層位的知見(層位学)と、各遺物のもつ形式の比較(形式学)を単独に行うか併用するかして得られる。絶対年代とは、年代的に定位され、動かない年代である。これは、放射性炭素(14C)、フッ素、磁気などによる物理化学的測定、年輪の検査(年輪年代法)、文献的証左などによって得られる。たとえば、小治田朝臣安万侶(おはりだのあそんやすまろ)の墓は、出土した銅板の墓誌によって神亀(じんき)6年(729)に営まれたことが理解される。こうした、さまざまな年代決定法を繰り返したのち、ある遺跡ないし遺物群の年代、またはある遺物の組合せの年代が知られる。また文献、火山灰その他から概定年代が知られる場合も少なくないのである。
 年代決定の次は、遺物・遺跡の解釈である。考古解釈学は、ギリシアの陶画やローマの石棺の刻画などを対象として練磨されたものであって、遺物・遺跡に即しながら他のあらゆる知識――たとえば、歴史上の知見、神話学、民族学、図像学、または地理学や生物学などによる知識――を全幅的に活用して行うのである。すなわち、それは何であったか、どのようにして製作されたのか、何に使用されたのか、何のためにそうつくられたのか、何を意味しているか、何を表しているのか、製作者や流派の名は何か、といった数々の設問に対して、納得のゆくような説明を与えるのである。たとえば、ミロのビーナス像の製作者はだれか、欠損している両腕はいかなる動勢をとっていたのか、ギリシア神殿の円柱にみられるエンタシスは何のためなのか、高松塚古墳の壁画は何を表しているのか、蟹満(かにまん)寺の本尊の丈六の金銅仏は釈迦如来(しゃかにょらい)像か薬師如来像か、顕微鏡でとらえられたある石器の擦痕(さっこん)は何によってできたものか、などのように、無慮無数の設問があるわけであって、解釈学は論拠を明確にしながらそれらに答えていくのである。
 考古学者は、この段階が済んだところで調査報告を作成し、また遺跡の復原と保存、遺物の保存の途を講ずる。遺跡の復原の好例は、ポンペイのアボンダンツァ街やクレタ島のミノス王の宮殿にみられる。遺物の保存に関しては、有機質(たとえば木製)の遺物や鉄製の遺物などがとくに配慮される。
 考古学の研究過程の最後は総合である。ここでは、これまで得られたあらゆる知見を総合し、ある年代的範囲と地域を限って「文化」を設定し、その文化を担った人々の生活環境や各文化の内容をできるだけ詳しく究明し、また諸文化の推移、他との接触や関連、文献的に判明しているある民族ないし部族との関係が追究されるのである。
 なお、研究調査が不十分な地域においては、いちおう明らかにされた文化系列を石器時代、青銅器時代、鉄器時代に三分し(三時代法)、とりあえず技術史時代区分を樹立することも必要であろう。[角田文衛]

歴史学と考古学

考古学者は本質的に歴史学者である。同様に文献学者も同様に歴史学者である。歴史学者は、考古学者や文献学者から提供された研究成果を適宜に評価・採用し、歴史を叙述(再構成)するのである。その際、歴史学者は、二つの史料学の研究成果を機械的に継ぎ合わせてはならない。そこには高度の批判が要請される。また同一の事柄に関して、考古学の研究成果と文献学のそれとが矛盾するような場合には、両者をみだりに結合せぬことが肝要である。[角田文衛]

現在の課題

考古学の研究調査によって、200万年に及ぶ人間の歴史は、しだいに判明しつつある。また世界各国において、発掘調査による驚嘆すべき古代の遺物・遺跡の発見は、日々の新聞紙上をにぎわしている。考古学者は、日々発掘調査に追いまくられる一方、膨大な発掘情報に眩惑(げんわく)され、学の末節にこだわり、方法論の研究をないがしろにする弊害に陥っている。そのため考古学の方法論に関するさまざまな難問題はいっこうに解決されず、新発見の数々にもかかわらず、それは古代史の適切な体系化を妨げている。考古学者は、新奇な遺跡・遺物の発見に雀躍(じゃくやく)してばかりおらず、冷静に方法論的思索に思いを巡らすことが要望されるのである。[角田文衛]
『浜田耕作著『通論考古学』(1959・雄山閣出版) ▽角田文衛著『古代学序説』増補版(1972・山川出版社) ▽芹沢長介・大塚初重・森浩一編『考古学ゼミナール』(1976・山川出版社) ▽角田文衛著『沈黙の世界史5 石と森の文化』(1971・新潮社) ▽斎藤忠著『日本考古学史』(1974・吉川弘文館) ▽ウィリー・サブロフ著、小谷凱宣訳『アメリカ考古学史』(1979・学生社) ▽斎藤忠著『日本考古学史辞典』(1984・東京堂出版)』

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世界大百科事典内の考古学の言及

【遺跡】より

…地上または地下にとどめられている過去の人間活動の痕跡が,考古学研究の史料や文化財保護の対象となった場合,それらは遺跡とよばれる。類似した人間活動による痕跡であっても,研究や保護の対象にならないものは遺跡に含まれない。…

【発掘】より

…一般に土中その他に埋没して直接見ることのできない状況におかれている物件を,実見しうる状況に露出する行為をいうが,とくに遺跡において,考古学者が遺構や遺物を検出する作業行為を指すことが多い。ただしそのうちで,土地等を掘削する行為のみを発掘と呼ぶこともある。…

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