日本歴史地名大系 「鴛野村」の解説 鴛野村おしのむら 大分県:大分市旧大分町地区鴛野村[現在地名]大分市鴛野・敷戸西町(しきどにしまち)・敷戸南町(しきどみなみまち)・敷戸新町(しきどしんまち)大分川支流の一の瀬(いちのせ)川と寒田(そうだ)川流域に位置する。北西は宮崎(みやざき)村、東は古城(こじよう)山に面する。枝村に敷戸村がある。正保郷帳に村名がみえ田高四七八石余・畑高一〇七石余、早田(わさだ)庄に所属。領主の変遷は宮崎村に同じで、明治二年(一八六九)の竈数石高人別調帳(内藤家文書)によると竈数七五・人数三二四。字宮前(みやのまえ)に敷戸神社があり誉田別尊を祀る。明治一一年字鬼塚(おにづか)の天満社を合祀した。字城津留(しろづる)には臨済宗妙心寺派清泰(せいたい)寺がある。〔敷戸村〕永享二年(一四三〇)八月三日の大友持直代官職補任状、藤原某・左衛門尉某連署奉書(利根文書)に「豊後国敷戸村定林寺先知行分」などとみえ、利根七郎幸秀に与えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by