鹿持城跡(読み)かもちじようあと

日本歴史地名大系 「鹿持城跡」の解説

鹿持城跡
かもちじようあと

[現在地名]大方町加持

宮尾みやお西南、麓から約一〇〇メートルほどの台地上にあり、城跡の西は天正一七年(一五八九)の入野郷地検帳にみえる「城ノ谷」の地で、奥深い山峡をなす。同地検帳の鹿持村のなかに「古城 鹿持城」(三四代の畠、御直分)、「同シノムカイ古出千城」(一二代の畠、御直分)がみえ、その付近に「城下」などのホノギも記される。

一条氏を頼って来国した飛鳥井雅量(曾衣)幕末の国学者鹿持雅澄の先祖といわれ、一条氏から鹿持村の地を与えられて居城したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 ふくい 蹴鞠

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む