鹿持城跡(読み)かもちじようあと

日本歴史地名大系 「鹿持城跡」の解説

鹿持城跡
かもちじようあと

[現在地名]大方町加持

宮尾みやお西南、麓から約一〇〇メートルほどの台地上にあり、城跡の西は天正一七年(一五八九)の入野郷地検帳にみえる「城ノ谷」の地で、奥深い山峡をなす。同地検帳の鹿持村のなかに「古城 鹿持城」(三四代の畠、御直分)、「同シノムカイ古出千城」(一二代の畠、御直分)がみえ、その付近に「城下」などのホノギも記される。

一条氏を頼って来国した飛鳥井雅量(曾衣)幕末の国学者鹿持雅澄の先祖といわれ、一条氏から鹿持村の地を与えられて居城したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 ふくい 蹴鞠

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む