日本歴史地名大系 「幡多郡」の解説
幡多郡
はたぐん
県の西南部に位置する。古代以来の幡多郡の郡域は、現在の四町三村と中村市・
「国造本紀」に施薬院
」とみえるのが初見。「和名抄」東急本は「波太」と訓ずる。表記は八多(「日本紀略」天慶三年一二月一九日条)・畑(「平家物語」巻三、「太平記」巻一八)などの用例もあるが、公的には幡多で一貫している。
〔原始・古代〕
十和村
前述のように「国造本紀」には崇神天皇の代に天韓襲命が波多国造になったことがみえるが、この波多国造の墳墓と考えられる前方後円墳の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報