日本歴史地名大系 「麻布坂下町」の解説 麻布坂下町あざぶさかしたちよう 東京都:港区旧麻布区地区麻布坂下町[現在地名]港区麻布十番(あざぶじゆうばん)二丁目新堀(しんぼり)川屈曲部への傾斜面の麓にある町屋。東が麻布網代(あざぶあみしろ)町、北が同宮下(みやした)町・同新網(しんあみ)町一丁目、西が同一本松(いつぽんまつ)町・本善(ほんぜん)寺・台雲(たいうん)寺・肥前佐賀藩鍋島家抱蔵屋敷・下総結城藩水野家下屋敷・善福(ぜんぷく)寺境内、南が麻布善福寺門前元(あざぶぜんぷくじもんぜんもと)町。起源は不明だがおそらく善福寺とともに古く、阿佐布(あざぶ)村のうちであった。傾斜地の麓のため坂下町の称となったと伝えるが、一本松坂または大黒(だいこく)坂下の説もある(港区史)。天明三年(一七八三)の分間江戸大絵図などに「サカモト町」と記すのは誤読と思われる。寛文八年(一六六八)に初めて新地奉行により家作改(文政町方書上)、沿革図書によると元禄一二年(一六九九)まで百姓町屋。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by