坂下町(読み)さかしたまち

日本歴史地名大系 「坂下町」の解説

坂下町
さかしたまち

[現在地名]高岡市坂下町・大手町おおてまち

小馬出こんまだし町の北端に直交し、東は定塚じようづか町に続く両側町。東西に長く、北陸街道が通る。正徳享保(一七一一―三六)頃の坂下町絵図(坂下町自治会蔵)では、同街道筋の道幅は三間五尺から四間一尺、源平板屋げんぺいいたや町に通じる道幅は二間二尺五寸で、町西端と中ほどを二筋の用水が流れている。町入口には古くから大木戸が設けられていた(不歩記)本町で、越後長岡ながおかより後藤孫之進という武士が引越したのに始まるという。町名台地から下段段丘に下った所に位置することにちなみ、台地付近は、もと坂高さかのたか町とよんだといわれる(高岡町由緒聞書)。なお当町は御車山を所有しないが、曳揃えの町として山町十ヶ町のうちであった。


坂下町
さかしたちよう

面積:三〇・三六平方キロ

恵那郡最東端に位置し、ほぼ木曾川を長野県境とする。東は長野県木曾郡山口やまぐち村・南木曾なぎそ町で、木曾山脈が連なる。北および西は飛騨山脈の西側に直角に交差する阿寺あでら山脈がある。北は川上かわうえ村、西は福岡ふくおか町に接する。阿寺断層は木曾川から西に川上村から益田ました下呂げろ町方面へ延びている。西方には上野うえのの高原地帯があり、大きな貯水湖はなの湖がある。ほぼ中央にJR中央本線坂下駅があり、往来が多い。また国道一九号からのバイパスが開通し、農業整備もようやく完了し、椛の湖周辺には遊園地、養鶏場、製茶工場、遺跡が点在する。


坂下町
さかしたまち

[現在地名]川越市喜多町きたまち志多町したまち

喜多町広済こうさい寺の北側、赤間あかま川への道に沿う中・下級武士屋敷町。「川越索麪」によれば町の長さ八三間。古くから侍屋敷があったが、享保一四年(一七二九)の火災後新規に屋敷割が行われ、行止りの所両側に新たに四軒の屋敷ができた。志多町西裏にあたる当町東側の広済寺長屋は小役人や武家奉公人住居で、仲間部屋・坂下の大部屋などと称された。


坂下町
さかしたちよう

[現在地名]豊橋市みなと

町の南に続く表町。水野忠善が領主であった寛永一九年(一六四二)から正保二年(一六四五)の頃にできたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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