龍原村(読み)たつはるむら

日本歴史地名大系 「龍原村」の解説

龍原村
たつはるむら

[現在地名]庄内町龍原

大分川とせり川が合流する地点右岸の河岸段丘上に位置する。西は芹川を隔てて村、東は筒口つつぐち(現挟間町)。年月日未詳の松富名半分新田実検注文案(大友文書)に「たつはるのとう九郎分」とみえ田代は「たつはる」「その」、済物は「くわ代」「あい三八」であった。康正三年(一四五七)一月一七日、狭間はさま村北方内龍原角屋敷土貢六貫三〇〇文分が小野三郎に預けられており(「親治知行預ケ状」小野信夫文書)、明応四年(一四九五)と考えられる六月一五日には狭間北方龍原内奥五貫分が小野平三郎に宛行われている(「怒留湯真茂等連署施行状」同文書)。乾元二年(一三〇三)五月一八日の阿南庄松富名中分状案(大友文書)にみえる「いけのくほ」、天正七年(一五七九)八月吉日の阿南庄狭間南方四百貫分覚(甲斐守文書)にみえるふくろ村は当地にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報