出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
地水火風空の5元素を五大,五輪と称し,形象化されると地は台地の方形,水は水滴の円形,火は火焰の三角形,風は放散する半円形,空は穹窿(きゆうりゆう)の宝珠形となる。これを下から上へと構成し,塔形にしたのが密教の五輪塔である。起源は判然としないが,遺物に関するかぎり,1122年(保安3)に建立された法勝寺小塔院の鐙瓦にあらわされた五輪塔が最も古く,文献的にも11世紀末をさかのぼりえないため,このころから行われたものと思われる。五輪塔は供養塔,舎利塔,墓石,胎蔵界大日の三昧耶(さんまや)形として用いられ,石製が最も多く,木製,水晶製,瓦製,土製もみられる。形状は有頸五輪塔が最も古く,火輪が三角錐の三角五輪塔は,鎌倉初期の重源関係の特異なものである。標準形の正形五輪塔が最も流布し,鎌倉時代に盛行する。このほか火・地輪の六角・八角五輪塔や地輪の長い長足五輪塔など種類が多く,各輪に梵字を施したものもある。その形態は平安後期より鎌倉中期になるにしたがって地輪がしだいに高くなり,火輪も薄手で傾斜の緩やかなものから正四角錐へと立ち上り,様式的な変化がみられる。
執筆者:石田 尚豊
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五大(ごだい)にかたどった5種の部分からなる塔をいう。五輪卒都婆(そとば)(卒塔婆(そとうば))ともいう。五大とは、物質の構成要素である地、水、火、風、空のことであり、輪とはすべての徳を具備するという意味をもつ。したがって五輪とは、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の総称である。それぞれ方、円、三角、半月、宝珠(ほうしゅ)形につくられ、日本では平安時代のなかばごろから死者への供養塔(くようとう)あるいは墓標として用いられた。石造りが一般的であり、木、金属、泥などでつくられもした。ちなみに、人間の五体(ごたい)は五輪からなり(五輪五体)、大日如来(だいにちにょらい)と等しいとみなして、密教の修行者たちは五輪成身観(じょうしんかん)という観法(かんぼう)(禅定(ぜんじょう)の一種)を修した。
[阿部慈園]
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密教によって創始された塔婆(とうば)の一形態。石製が一般的だが,木製・土製もある。塔形は胎蔵界大日如来が一切衆生を救済する三昧耶形(さんまやぎょう)という。下から地輪(方)・水輪(球)・火輪(三角)・風輪(半球)・空輪(宝珠)が積みあげられ,一切の物質を構成する五大を表すとされる。平安中期から造立されたらしい。鎌倉前期には盛んに造られたことが「餓鬼草紙(がきぞうし)」などからうかがえるが,鎌倉後期~室町時代に最も流行した。14世紀頃のものとされる多数の五輪塔が鎌倉極楽寺の「やぐら」(墳墓の一形式)から出土し,下に骨壺をおき墓標としたものもあった。元来,五輪塔は追善の供養塔で,墓標として一般化するのは室町時代以降である。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…浄土教が隆盛になるに従い,死者は念仏者として葬式をされるようになる。そして,高野山の奥の院が弥勒下生の地と信じられた平安末期になると,人々は竹筒や木造の五輪塔に骨をこめて奥の院へ納骨するようになり,さらに室町時代になると石造五輪塔も持ちこむようになった。一方,土葬した上に阿弥陀堂を建立することも行われ,またこれに結縁せんとして火葬骨を持ちこむ者もあった。…
…木造塔は多層塔(3,5,7,9,13層)と多宝塔が普通である。石塔は日本では小さなものしかなく,形式としては多層塔,多宝塔,宝塔,宝篋印(ほうきよういん)塔,五輪塔,無縫塔,笠塔婆などがある。鉄塔や銅塔には相輪橖(そうりんとう),宝塔,五輪塔などがある。…
※「五輪塔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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