庄内町(読み)しようないまち

日本歴史地名大系 「庄内町」の解説

庄内町
しようないまち

面積:二五・六九平方キロ

嘉穂郡の北東部に位置し、東は金国かなくに(四二一・六メートル)せきの山(三五九・一メートル)から続く低い山地を境にして田川市・田川郡糸田いとだ町、西は標高六〇メートルほどの笠松かさまつ丘陵を隔てて飯塚市、南は稲築いなつき町・山田市、北は頴田かいた町に接する。町の中央を南から北へ庄内川が貫流し、南部を新飯塚駅から田川後藤寺たがわごとうじ駅に至るJR後藤寺線、北部を福岡市から行橋市に至る国道二〇一号が横断する。古代以来嘉麻かま郡に属し、北部の有安ありやすには条里が施行された(庄内町誌)。「延喜式」にみえる綱別つなわき駅は現綱分つなわきあるいは現有井ありい付近に比定される。また「和名抄」所載の嘉麻郡綱別つなわき郷が町域に比定されている。平安時代中期には宇佐宮灯油料田綱別つなわけ庄、「綱別新庄」(嘉麻郡宮吉名)が設定された。鎌倉期には武士による宇佐宮領への侵略が始まる。天正七年(一五七九)には秋月種実が綱分つなわけ八幡宮に社領を寄進しており、当町域は秋月氏の支配下に入っていた。


庄内町
しようないまち

面積:一四〇・一一平方キロ

県のほぼ中央部に位置し、東は挟間はさま町・野津原のつはる町、西は湯布院ゆふいん町と玖珠くす九重ここのえ町、南は直入なおいり直入町・久住くじゆう町、北は別府市に接する。中央部を大分川が東流し、くろ岳を水源とする阿蘇野あその川、別府市のねじ山を水源とする小挟間おばさま川、久住くじゆう町の大船たいせん山を水源とするせり川が町域で大分川に合流する。南西部に花牟礼はなむれ(一一七四メートル)、南に熊群くまむれ(八〇四・九メートル)かんむり(烏帽子岳七六一・四メートル)大龍おおたつ(六二四・三メートル)、北にじようヶ岳(一一六七・八メートル)雨乞あまごい(一〇七三・七メートル)があり、町内を流れる川の河岸段丘以外は標高一〇四メートルから一〇〇〇メートルの山間地帯である。


庄内町
しようないまち

[現在地名]村上市庄内町

町の坂下から東に向かって三町五〇間ほど延び、北に折れて久保多くぼた町境の大きな枡形に合する。南側家並の裏は城郭中最も大きな堀があり、東端は広見ひろみとよばれた。現在は埋立てられて宅地と化した。寛文七年(一六六七)から宝永元年(一七〇四)の榊原氏在城時の絵図(上越市立高田図書館蔵)には、東の町はずれに「鷹匠町」がみえる。また町の西部には北へ向かって牢屋ろうや小路があり、同絵図には小路の奥に「籠屋」と記される。寛永一二年(一六三五)の村上惣町並銘々軒付帳(本間喜千郎氏蔵)では家六九軒、うち二軒が肝煎・小走、二軒が無役で、長柄衆一軒・鉄砲衆三軒・「御かご」一軒があった。嘉永二年(一八四九)には一二〇軒となる(「年行事所日記」村上市蔵)


庄内町
しようないまち

2005年7月1日:東田川郡立川町余目町が合併
【立川町】山形県:東田川郡
【余目町】山形県:東田川郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「庄内町」の意味・わかりやすい解説

庄内〔町〕
しょうない

山形県北西部,庄内平野の中央部から南東部に広がる町。最上川とその支流立谷沢川に沿い,町域は南北に細長い。 2005年立川町と余目町が合体。中北部の狩川と清川は,最上川水運最盛時に河港として栄えた。主産業は農業。庄内米の産地として知られ,醸造業が立地する。ストックやトルコギキョウなどの花卉栽培も盛ん。最上川の谷間を庄内平野へ吹き抜ける「清川だし」と呼ばれる強風を利用して風力発電を行なうほか,天然ガスを産する。清川には幕末の志士清河八郎を記念する清河神社がある。狩川は羽黒山の登山基地。天然記念物の月山東麓一帯は磐梯朝日国立公園に属する。余目で JR羽越本線と JR陸羽西線が分岐。国道 47号線が町域の北部を通る。面積 249.17km2。人口 2万151(2020)。

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