コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

高松藩 たかまつはん

5件 の用語解説(高松藩の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高松藩
たかまつはん

江戸時代,讃岐国 (香川県) 高松地方を領有した藩。生駒氏 17万 1600石のあとをうけて,寛永 19 (1642) 年水戸藩主徳川頼房の子松平頼重が 12万石で入封,11代続いて廃藩置県にいたった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

高松藩【たかまつはん】

讃岐(さぬき)国高松に藩庁をおいた親藩。藩主は生駒(いこま)氏が1640年改易後,徳川御三家(ごさんけ)水戸家藩主の子,松平頼重(よりしげ)が入封,讃岐国東部で高12万石を領知。
→関連項目讃岐国高松城

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

藩名・旧国名がわかる事典の解説

たかまつはん【高松藩】

江戸時代讃岐(さぬき)国香川郡高松(現、香川県高松市)に藩庁をおいた、初め外様(とざま)藩、のち親藩(しんぱん)。藩校は講堂館。1587年(天正(てんしょう)15)、四国を平定した豊臣秀吉(とよとみひでよし)が家臣の生駒親正(いこまちかまさ)に讃岐1国17万3000石を与え、以後約50年間にわたり生駒氏が在封(ざいほう)。1600年(慶長(けいちょう)5)の関ヶ原の戦いでは東軍に味方して所領を安堵(あんど)されたものの、40年(寛永(かんえい)17)に起きた御家騒動(生駒騒動)により改易(かいえき)出羽(でわ)国矢島藩に転封(てんぽう)(国替(くにがえ))となった。このとき讃岐国は4分割されたが、その一つ東讃岐12万石に、水戸藩主徳川頼房(とくがわよりふさ)の長男松平頼重(よりしげ)が常陸(ひたち)国下館(しもだて)藩から入封(にゅうほう)、42年に親藩の高松藩が再成立した。以後明治維新まで松平氏11代が続いた。代々藩主は城下町を整備し、約400もの溜池(ためいけ)を築造したほか、砂糖製造の奨励や新田開発、塩田開発を行うなど藩財政の安定化をはかったが、天保の飢饉では坂出村で百姓一揆が起きた。戊辰(ぼしん)戦争では幕府軍についたため一時朝敵とされた。1871年(明治4)の廃藩置県により、高松県を経て香川県となった。

出典|講談社
(C)Kodansha 2011.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

たかまつはん【高松藩】

讃岐国(香川県)香川郡高松に藩庁を置いた家門の中藩。1587年(天正15)讃岐15万石の領主として入封した生駒氏は,生駒騒動により1640年(寛永17)出羽国矢島に1万石で改易された。2年後に東讃岐12万石の藩主として三家の水戸頼房の子松平頼重が生駒氏の築いた高松城に入り,以後廃藩置県にいたる。高松藩は44年(正保1)城下町上水道の整備,翌年の大干ばつに際して約400ヵ所の溜池の築造,65年(寛文5)から7年間にわたる領内総検地,67年の山田郡沿岸部の新田干拓などによって,領内支配の基礎を整えた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高松藩
たかまつはん

讃岐(さぬき)国(香川県)香川郡に置かれた藩。1587年(天正15)生駒親正(いこまちかまさ)が豊臣(とよとみ)秀吉より讃岐一国17万3000石を与えられ入封。以後4代高俊(たかとし)のとき生駒騒動が起き出羽(でわ)国(秋田県)矢島に転封された1640年(寛永17)まで50余年間生駒氏が在封した。1642年、水戸藩主徳川頼房(よりふさ)の子松平頼重(よりしげ)が入封し、東讃岐12万石を領す。親藩。松平氏による時代を通常高松藩とよぶ。頼重は頼房の長男であったが、水戸藩は次男光圀(みつくに)が継いだ。そこで光圀は長子頼常を高松藩主に、頼重の子綱條(つなえだ)を水戸藩主とした。初代頼重はまず城下町形成を図り、街の北東部20か町に水道を敷設し、侍屋敷は南西部に、町屋は南東部に集めた。現在高松市内にみられる丸亀(まるがめ)町、鍛冶屋(かじや)町、紺屋町、大工町、瓦(かわら)町などはこの時代の名残(なごり)である。また各地に溜池(ためいけ)400余を築造、海岸の埋立て、屋島(やしま)新田の開設を行うなど藩政の基礎を固めた。2代頼常も藩財政の確立を図り、1696年(元禄9)法令21か条を制定して藩の基本方針とした。5代頼恭(よりたか)は砂糖製造を奨励したため、これ以後急速に普及した。砂糖とともに綿、塩の生産も盛んで、この3品をもって「讃岐三白」とよんでいる。これらは高松藩の大きな財源であった。とくに塩の生産は地理的、気候的条件にも恵まれているため、化政(かせい)期(1804~30)以降塩田が急激に開拓され、増加した。久米(くめ)栄左衛門(通賢(みちかた))によって開かれた坂出(さかいで)塩田は、讃岐塩田のなかでもとくに有名であり、近年まで製塩が行われ全国一の生産高を誇った。また文政(ぶんせい)(1818~30)ごろから始められた漆器は、伝統的産業の一つとして現在に引き継がれ、讃岐漆器として有名である。藩主松平氏は11代続き、廃藩置県に至る。[橋詰 茂]
『『新修高松市史』(1964~69・高松市) ▽荒井とみ三著『高松繁昌記』全5巻(1980・歴史図書社) ▽松浦正一著『高松藩祖松平頼重伝』(1964・松平公益会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の高松藩の言及

【生駒騒動】より

…讃岐高松藩生駒氏に起こった御家騒動。1621年(元和7)生駒高俊は幼少にして父正俊の跡をついだ。…

※「高松藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

高松藩の関連キーワードさぬき空港公園讃岐讃岐国分寺讃岐民芸館香川〈町〉香南〈町〉香川県高松市国分寺町国分讃岐広直彦四郎節藁仲貫

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

高松藩の関連情報