龍迫谷
りゆうさこたに
四軒町の南端から南西方向に小路が下り、明治期には龍迫谷と称された。現在の京町一丁目二番地・三番地と四番地の境目道である。この小路の両側に坂の下り口から四分の一ほどまでに下屋敷四があるが、それより坂の下まではすべて切米取屋敷で、南に七、北に八屋敷が軒を連ねる。元禄頃に小路の途中からさらに東南に下りる小路(現新堀橋バス停留所付近からの登り坂)ができ、二股状のところに知行取屋敷一が作られ、文政八年からは下津氏屋敷である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 