日本歴史地名大系 「京町懸」の解説 京町懸きようまちがかり 熊本県:熊本市熊本城下京町懸[現在地名]熊本市京町一―二丁目熊本城の北部、茶臼(ちやうす)山から北へ続く標高三〇―四〇メートルの細長い丘陵地帯が京町台で、京町懸に属する町人町はその南部中央に南北にあった。周囲は武家屋敷で占められていた。京町台は東を坪井(つぼい)川、西を井芹(いせり)川に挟まれた位置にあり、東西両側とも急勾配をなす。城内とは新(しん)堀で隔てられ、城内の新堀御門から、豊前・豊後街道が出ていた。平安時代、飽田(あきた)国府に続く駅路がこの方面を通過していたと考える説もあり、現在の熊本地方気象台付近の柳川(やながわ)小路辺りには「国誌」に「境内太タ宏ク大寺也シト云」とある、平安時代の天台宗大道(だいどう)寺があったと推測され、付近から布目瓦や遺物が発掘されている。「国誌」によれば、もとは城内三ノ丸の古京(ふるぎよう)町の地が「少カノ市店」があり京町といわれていたが、加藤清正の熊本城築城に際し、市店が当地に移され京町とされ、もとの地は古京町といわれるようになったという。豊前街道は京町台の中央を南北に走り、軍事上から深い凹道であったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報