大綱木村(読み)おおつなぎむら

日本歴史地名大系 「大綱木村」の解説

大綱木村
おおつなぎむら

[現在地名]川俣町大綱木

口太くちぶと山北西麓、木幡こはた山北東麓にあたり、南は針道はりみち(現東和町)。丘陵状を呈し、中央を北流する広瀬ひろせ川に沿って三春みはる(現三春町)に至る街道が走り、沿線に集落を形成。村名は、「信達二郡村誌」によれば、春日神社縁起に載る山蔭中納言の歌にみえるつなぎ村が大小二村に分れたものという。天文七年(一五三八)の段銭古帳に伊達東根だてひがしねのうちとして「大つなき」とあり、段銭は一七貫八〇文。同一四年五月二日の伊達晴宗充行状(関文書)によれば、天文の乱で晴宗方に属した関帯刀が、河俣かわまたのうち大綱木の遠藤藤五良分を宛行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報