戸城山城跡(読み)としろやまじようあと

日本歴史地名大系 「戸城山城跡」の解説

戸城山城跡
としろやまじようあと

[現在地名]赤村内田

戸城山(三一七・六メートル)に築かれた城。戸代山城とも書く(豊前志)。暦応二年(一三三九)に肥後国の菊池武重が築いたが、貞和年中(一三四五―五〇)に武重は帰国し、麻生玄蕃頭を城代としたという。南朝方の拠点となっていたと思われる。応安三年(一三七〇)畠山義深、次いでその子義豊が在城した。応永三〇年(一四二三)大内盛見は畠山義豊・義孝父子を討ち、嫡子内田右馬頭を在城させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android