朝日日本歴史人物事典 「畠山義深」の解説
畠山義深
生年:元弘1(1331)
南北朝時代の武将。父は家国。観応2/正平6(1351)年,足利直義主導下の室町幕府で従五位下尾張守に任ぜられる。のち(足利)尊氏派に転じて関東に下るが,文和4/正平10年に南朝軍が京都に侵入すると,足利基氏の命で武蔵の平一揆,白旗一揆を率いて上洛,戦功をあげた。延文4/正平14年にも関東の軍勢を率いて南朝軍と河内に戦い,翌年足利義詮より摂津西成郡守護に任ぜられる。康安1/正平16年,兄国清が伊豆に立てこもると行動を共にするが,出家して助けられ,やがて西成郡守護に復した。国清亡きあと,滅亡の危機に瀕した畠山家の嫡流として復活,のちの繁栄の礎となった。尾張守が歴代畠山家督者の任官となるのは義深以降のことである。<参考文献>小川信『足利一門守護発展史の研究』
(石田晴男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報