畠山義深(読み)はたけやま・よしふか

朝日日本歴史人物事典 「畠山義深」の解説

畠山義深

没年:康暦1/天授5.1(1379)
生年:元弘1(1331)
南北朝時代の武将。父は家国。観応2/正平6(1351)年,足利直義主導下の室町幕府で従五位下尾張守に任ぜられる。のち(足利)尊氏派に転じて関東に下るが,文和4/正平10年に南朝軍が京都に侵入すると,足利基氏の命で武蔵の平一揆,白旗一揆を率いて上洛,戦功をあげた。延文4/正平14年にも関東の軍勢を率いて南朝軍と河内に戦い,翌年足利義詮より摂津西成郡守護に任ぜられる。康安1/正平16年,兄国清が伊豆に立てこもると行動を共にするが,出家して助けられ,やがて西成郡守護に復した。国清亡きあと,滅亡の危機に瀕した畠山家の嫡流として復活,のちの繁栄の礎となった。尾張守が歴代畠山家督者の任官となるのは義深以降のことである。<参考文献>小川信『足利一門守護発展史の研究

(石田晴男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「畠山義深」の意味・わかりやすい解説

畠山義深
はたけやまよしふか

[生]元弘1(1331)
[没]天授5=康暦1(1379).1.12.
南北朝時代の武将。家国の子,関東執事国清の弟。兄国清とともに鎌倉にいたが,正平 16=康安1 (1361) 年,関東公方足利基氏に追われた兄とともに伊豆に走り,修善寺などに城を構えて対抗した。翌年降伏したが,処罰を恐れて逃亡。のち京都で義詮に属した。正平 21=貞治5 (66) 年,斯波氏失脚の跡を襲って越前守護に補せられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畠山義深」の解説

畠山義深 はたけやま-よしふか

1331-1379 南北朝時代の武将。
元徳3=元弘(げんこう)元年生まれ。畠山家国の次男。関東執事だった兄国清にしたがう。国清が失脚したあと,京都で足利義詮(よしあきら)につかえ,延文5=正平(しょうへい)15年(1360)摂津西成郡(大阪府)の分郡守護となる。斯波高経(しば-たかつね)の追討にあたり,その功で越前(えちぜん)守護職をあたえられた。永和5=天授5年1月死去。49歳。名は「よしとお」ともよむ。

畠山義深 はたけやま-よしとお

はたけやま-よしふか

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