(佐伯弘次)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
1446~95.9.18
室町時代の武将。周防・長門両国ほかの守護。教弘(のりひろ)の子。1465年(寛正6)家督となる。細川勝元と伊予国河野通春の抗争に際し,父教弘と同様通春を援助。このため勝元と対立,67年(応仁元)応仁の乱では山名持豊方として上京,西軍の有力武将となった。77年(文明9)帰国,領国の経営に専念。「大内家壁書」に収める法令の大半は,政弘の時代のもの。文化面での業績が顕著で,和歌は三条西実隆に師事し「拾塵和歌集」を残した。連歌では宗祇(そうぎ)と交流し,「新撰菟玖波集」には作品が多数収録される。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…しかもこれを契機に戦闘は各地に広がりを示した。2月中旬には細川分国の兵に上洛が命じられたことが風聞されていたし,山名方としては大内政弘が上洛するという情報が京都にとどいていた。播磨国では,細川方の赤松政則の兵が山名方を追い備前・美作両国に攻め込んでいた。…
…中世の西中国の雄族(図)。百済聖明王第3子琳聖太子が周防国多々良浜に着岸,聖徳太子より大内県を采邑とし多々良の姓を賜ったと伝える。鉄製錬技術をもち半島から帰化した氏族であろう。12世紀中葉から周防在庁の有力者で盛房以来周防権介を世襲し大内介と称した。13世紀後半惣領家は在国司ほかの要職を,庶家の問田(といた)・右田(みぎた)・鷲頭(わしず)の諸家も在庁の要職を保持し,同時に鎌倉御家人で六波羅評定衆。…
…旧国名。防州。現在の山口県東部地方。
【古代】
山陽道に属する上国(《延喜式》)。793‐849年(延暦12‐嘉祥2)の間に中国から上国に昇格した。《和名抄》は〈スハウ〉とよむ。もと〈周芳〉につくり,大宝令施行後〈周防〉に一定した。国司管治の国としては《日本書紀》天武10年(681)条に初見する。大島,熊毛(くまけ),都濃(つの),佐波(さば),吉敷(よしき)の5郡に721年(養老5)に熊毛郡をわけて玖珂(くか)郡を設置して6郡となった。…
…例えば継目安堵の判物下付の礼銭でいえば,小早川氏は,1487年(長享1)継目安堵の御礼に上洛するに際し,庶子家や家臣に分担をさせ,土倉(どそう)に質入れを行って,400貫文弱を調達,上洛費用と礼銭分を調えている(《小早川家文書》)。応仁・文明の乱で,西軍の大内政弘の帰降に際しては,将軍御台日野富子に対して種々の名目で340貫文の礼物が進上されている。これらの礼銭は幕府家臣のみならず貴族・寺社に及び,東寺を例にとれば,管領,守護,奉行などに所領安堵,課税免除の礼銭,一献料を進上している。…
※「大内政弘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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