大内政弘(読み)おおうちまさひろ

精選版 日本国語大辞典 「大内政弘」の意味・読み・例文・類語

おおうち‐まさひろ【大内政弘】

  1. 室町後期の武将周防長門豊前筑前守護義弘の孫。教弘の子。応仁の乱に、山名宗全西軍に属す。連歌に長じ、宗祇・兼載らと親交があり「新撰菟玖波集」の撰集を後援した。法名法泉寺直翁真正。文安三~明応四年(一四四六‐九五

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大内政弘」の解説

大内政弘
おおうちまさひろ

1446~95.9.18

室町時代の武将。周防・長門両国ほかの守護。教弘(のりひろ)の子。1465年(寛正6)家督となる。細川勝元と伊予国河野通春の抗争に際し,父教弘と同様通春を援助。このため勝元と対立,67年(応仁元)応仁の乱では山名持豊方として上京,西軍の有力武将となった。77年(文明9)帰国,領国の経営に専念。「大内家壁書」に収める法令の大半は,政弘の時代のもの。文化面での業績が顕著で,和歌は三条西実隆に師事し「拾塵和歌集」を残した。連歌では宗祇(そうぎ)と交流し,「新撰菟玖波集」には作品が多数収録される。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大内政弘」の解説

大内政弘 おおうち-まさひろ

1446-1495 室町-戦国時代の武将。
文安3年8月27日生まれ。大内教弘(のりひろ)の長男。周防(すおう),長門(ながと),豊前(ぶぜん),筑前(ちくぜん)の守護。応仁(おうにん)の乱では山名持豊の西軍にくわわる。雪舟等楊(せっしゅう-とうよう)ら文化人を保護。「新撰菟玖波(つくば)集」に数おおくの句がおさめられている。明応4年9月18日死去。50歳。幼名は亀童丸,太郎。家集に「拾塵和歌集」。
【格言など】かほどまで衰ふる世に思ふかなさこそ昔の秋の夜の月(「初渡集」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「大内政弘」の解説

大内政弘
おおうちまさひろ

1446〜95
室町中期の武将
周防 (すおう) ・長門・豊前・筑前の守護大名。応仁の乱では山名持豊(宗全)に味方して京都を中心に転戦したが,1477年乱がおさまると帰国。和歌・連歌をよくし,宗祇 (そうぎ) と親交があった。

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防府市歴史用語集 「大内政弘」の解説

大内政弘

 1465年に大内家の当主になり、応仁の乱[おうにんのらん]には山名持豊[やまなもちとよ]の軍として参加しています。山名軍でも有力な武将でした。文化面での業績も多く、山口を訪れた雪舟[せっしゅう]に庵を与えるなどの保護をしています。

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367日誕生日大事典 「大内政弘」の解説

大内政弘 (おおうちまさひろ)

生年月日:1446年8月27日
室町時代;戦国時代の武将。周防・長門・筑前などの守護
1495年没

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世界大百科事典(旧版)内の大内政弘の言及

【応仁・文明の乱】より

…しかもこれを契機に戦闘は各地に広がりを示した。2月中旬には細川分国の兵に上洛が命じられたことが風聞されていたし,山名方としては大内政弘が上洛するという情報が京都にとどいていた。播磨国では,細川方の赤松政則の兵が山名方を追い備前・美作両国に攻め込んでいた。…

【大内氏】より

…中世の西中国の雄族(図)。百済聖明王第3子琳聖太子が周防国多々良浜に着岸,聖徳太子より大内県を采邑とし多々良の姓を賜ったと伝える。鉄製錬技術をもち半島から帰化した氏族であろう。12世紀中葉から周防在庁の有力者で盛房以来周防権介を世襲し大内介と称した。13世紀後半惣領家は在国司ほかの要職を,庶家の問田(といた)・右田(みぎた)・鷲頭(わしず)の諸家も在庁の要職を保持し,同時に鎌倉御家人で六波羅評定衆。…

【周防国】より

…旧国名。防州。現在の山口県東部地方。
【古代】
 山陽道に属する上国(《延喜式》)。793‐849年(延暦12‐嘉祥2)の間に中国から上国に昇格した。《和名抄》は〈スハウ〉とよむ。もと〈周芳〉につくり,大宝令施行後〈周防〉に一定した。国司管治の国としては《日本書紀》天武10年(681)条に初見する。大島,熊毛(くまけ),都濃(つの),佐波(さば),吉敷(よしき)の5郡に721年(養老5)に熊毛郡をわけて玖珂(くか)郡を設置して6郡となった。…

【礼銭】より

…例えば継目安堵の判物下付の礼銭でいえば,小早川氏は,1487年(長享1)継目安堵の御礼に上洛するに際し,庶子家や家臣に分担をさせ,土倉(どそう)に質入れを行って,400貫文弱を調達,上洛費用と礼銭分を調えている(《小早川家文書》)。応仁・文明の乱で,西軍の大内政弘の帰降に際しては,将軍御台日野富子に対して種々の名目で340貫文の礼物が進上されている。これらの礼銭は幕府家臣のみならず貴族・寺社に及び,東寺を例にとれば,管領,守護,奉行などに所領安堵,課税免除の礼銭,一献料を進上している。…

※「大内政弘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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