田川郡(読み)たがわぐん

日本歴史地名大系 「田川郡」の解説

田川郡
たがわぐん

面積:三〇九・一三平方キロ(境界未定)
赤池あかいけ町・方城ほうじよう町・金田かなだ町・糸田いとだ町・香春かわら町・あか村・大任おおとう町・添田そえだ町・川崎かわさき

県の中央部東寄りに位置する。郡内北西部に当郡から分立した田川市があり、同市を含むと東は京都みやこ犀川さいがわ町・勝山かつやま町、北は北九州市小倉南区・直方のおがた市、西は嘉穂かほ頴田かいた町・庄内しようない町・山田市・嘉穂郡嘉穂町、南は朝倉あさくら小石原こいしわら村・宝珠山ほうしゆやま村、大分県日田市・同県下毛しもげ山国やまくに町に接する。古くは田河とも書いた。田川市を含んでいた郡域は古代からほぼ変化なく、近世においては東は仲津なかつ郡・京都郡、北は企救きく郡、筑前国鞍手くらて郡、西は同国嘉麻かま郡、南は同国上座じようざ郡、豊後国日田郡・下毛郡に接する。

〔原始・古代〕

田川盆地内の段丘や台地は、約九万年前の阿蘇4火砕流を基層とする堆積層と河川の浸食によって形成された。安定した堆積層が残る場所での旧石器時代遺跡の存在は予測されるが、後世の地形改変が大きいため、層位的調査事例はない。田川市のてらうえ遺跡では二側縁加工のナイフ形石器が、猫迫ねこさこ1号墳ではナイフ形石器や剥片類が採集され、香春町の湯無田ゆむた遺跡では細石刃が出土。英彦ひこ山水源のいま川上流域の山間部に立地する添田町のズイベガばる遺跡・うしろ遺跡は、縄文時代早期・前期を主体とする。また狭小な河岸段丘上で早期の陥穴が多数発見された下井したい遺跡、赤村の合田ごうだ遺跡なども知られる。土層堆積の発達した所では、約七〇〇〇年前のアカホヤ火山灰も確認できる。湯無田遺跡では中期船元式土器群が出土。彦山川上流域の添田町の桝田ますだ遺跡は、河川沿いの後期集落。彦山川の中・下流域には田川市の先法月さきのほうげつ遺跡、赤池町市津河床いつちかしよう遺跡・板取いたどり遺跡がある。晩期では埋甕が発見された川崎町の冥加塚みようがづか遺跡、土偶片が出土した香春町の五徳畑ごとくはた遺跡がある。

前期弥生土器「下伊田式」で著名な田川市の下伊田しもいた遺跡では青銅製鋤先が、同じ丘陵上の寺ノ上遺跡では箱式石棺墓から細形銅剣が出土。田川盆地は青銅器が流域単位の分布圏をもつ。中元寺ちゆうがんじ川流域丘陵上の糸田町の宮山みややま遺跡・古賀こがみね遺跡では中形・細形を中心に多量の銅戈が出土。金辺きべ川流域にある香春町の採銅所宮原さいどうしよみやばる遺跡では終末期箱式石棺墓群より内行花文鏡が出土、方城町の宝珠ほうしゆ遺跡も同様の事例で舶載鏡とされる。添田町の庄原しようばる遺跡では中期の金属溶解炉と銅鋳型が発見された。五徳畑ケ田遺跡は前期末から中期にかけての大規模な集落で、出土土器群は地域編年の基準となる。前期末頃の把頭飾も出土。ほかに手焙形土器が出土した川崎町の田原たばら遺跡、中期―後期集落の冥加塚遺跡などがある。


田川郡
たがわぐん

県の西部に位置する。近世には庄内地方のうち最上川以南(川南)を占め、北は飽海あくみ郡、東は村山郡・最上郡、南は越後国岩船いわふね郡に接し、西は日本海に面していたが、古代には北半は出羽郡の郡域で、戦国期から近世初期にかけては、東半が櫛引くしびき郡の郡域であった。多川(文禄四年一二月二日「坂蔵杢大夫旦那売券」米良文書など)、田河(寛永元年庄内高辻帳など)とも記した。「和名抄」東急本・刊本には「多加波」、「拾芥抄」には「タカハ」の訓がある。なお近世の郡域は現在の鶴岡市、西田川郡温海あつみ町、東田川郡朝日あさひ村・櫛引町・羽黒町・立川たちかわ町・藤島ふじしま町・三川みかわ町・余目あまるめ町の全域と酒田市の最上川以南、および飽海郡松山まつやま町の一部にあたる。

〔古代〕

天武天皇一一年(六八二)越の蝦夷伊高岐那らが俘人七〇戸をして一郡を建てたいと願出て許されている(「日本書紀」同年四月二二日条)。一郡とは評のことをさし、評名は不明であるが、「大日本地名辞書」はこれをのちの当郡のこととする。またこれを俘郡とみて、当時の越国北限のさらに北、現新潟県岩船郡山北やまきた寒川かんがわ以北、鶴岡市三瀬さんぜ以南にこの郡を所在比定する説もある。和銅元年(七〇八)に越後国の一郡として出羽郡が建郡されるが(「続日本紀」同年九月二八日条)、当郡はこの出羽郡域に含まれていたと考えられる。その後、出羽郡は南北に分割され、南半が当郡域となったと考えられる。「和名抄」では田川郷・甘禰かね郷・新家にいのみ郷・那津なつ郷・大泉おおいずみ郷の五郷で構成され、令制の区分では下郡にあたる。同じく五郷で構成される出羽郡は、現鶴岡市北部・藤島町・立川町以北と考えられ、郡境は東西に引かれていたと考えられる。「延喜式」神名帳には遠賀おが神社・由豆佐売ゆずさめ神社・いでは神社の三座が載る。遠賀神社は現鶴岡市井岡いのおかの同名社、由豆佐売神社は同市湯田川ゆたがわの同名社、伊波神社は羽黒町手向とうげ出羽神社(出羽三山神社)にそれぞれ比定される。

「続日本後紀」承和六年(八三九)一〇月一七日条によると、出羽国府より五〇余里離れた当郡の「西浜」に白・黒・青・赤などのいろいろな色の石が申合せたように先端を西に向けて並んでいるのが見つかった。田川郡司からの報告で国司はさっそくことの次第を朝廷に提出して、併せて採取した石鏃も送付したところ、朝廷は陸奥・出羽、ならびに大宰府などの辺境に異変に対する注意を喚起し、神仏に対する奉幣・修法を怠らないようにとの命令を下している。下って仁和元年(八八五)一一月二一日条によれば、同年六月にも「出羽国秋田城中、及飽海郡神宮寺西浜」でも同様のことがあり、「大物忌神、月山神、田川郡由豆佐乃売神」がこのような怪をなしており、祟りはこれらの神社を敬わなかったことにあるから、国司に命じて諸神を祀るように命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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