Max(Prinz von Baden)(英語表記)Max

翻訳|Max

世界大百科事典(旧版)内のMax(Prinz von Baden)の言及

【ドイツ革命】より

…しかしこうした一連の大衆行動は,軍による弾圧や一定の待遇改善によって収束され,戦争体制を大きく揺るがすには至らなかった。
[十一月革命]
 ブレスト・リトフスク条約による対ソビエト・ロシア講和後,ドイツ軍が総力を結集した西部戦線での大攻勢が失敗に終わり,敗戦が決定的になると,1918年10月,当時国政の中枢にあった軍部の要請により,社会民主党を含む中道諸党を基盤としたマックス・フォン・バーデン公Max Prinz von Baden(1867‐1929)内閣が成立した。新内閣は,議会主義君主制の方向で〈上からの改革〉を進める一方,アメリカ大統領ウィルソンに講和の申出を行った。…

【バーデン】より

…反プロイセン的な自由主義の気風の国であったが,70‐71年の普仏戦争とプロイセンによるドイツ統一には協力している。 ドイツ帝国の時代,バーデンは国としてはとくに見るべき役割は果たしていないが,第1次大戦中ドイツ帝国最後の宰相として国制の民主化に努めたマックスMax Prinz von Baden(1867‐1929)は,時のバーデン大公の従兄弟で大公位継承者であった。バーデンは1918年のドイツ革命で君主制を廃し,ワイマール共和国の一州となった。…

※「Max(Prinz von Baden)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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