バーデン

百科事典マイペディアの解説

バーデン

ドイツ南西部,フランス,スイスに接する地方。大部分がシュワルツワルトなどの森林・丘陵地で,主要都市はマンハイムカールスルーエフライブルク。1806年大公国となり,1871年ドイツ帝国の一州。第2次大戦後,米仏の占領を経て,バーデン・ビュルテンベルク州の一部となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

バーデン【Baden bei Wien】

ウィーン郊外の保養地。ウィーンの森の周縁,シュウェヒャト川渓谷に位置する。人口2万3140(1981)。ローマ時代から硫黄泉で有名で,リウマチ,代謝障害に効果がある。またリウマチ研究所,鉱泉試飲館,温泉公園,市立劇場(1775,1908改築)などがある。9世紀末カロリング朝の王領地,15世紀オーストリア大公の直轄領となり,1480年市とされる。1803‐34年には皇帝フランツ1世が毎夏滞在し,作家,音楽家の避暑地になった。

バーデン【Baden】

ドイツの南西,バーデン・ビュルテンベルク州の西辺を占める地方。ライン川東岸を南北に長く伸び,西はラインをはさんでフランスと,南はスイスと境を接している。地形はライン川がつくり出した上部ライン平原(幅30~50km,長さ280km。バーゼルからマインツまでライン上流両岸に細長く連なる)と,それと並行してライン東岸に南北に連なる山地シュワルツワルトとオーデンワルトOdenwaldがあざやかな対照をなしている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バーデン
Baden

スイス北部,アールガウ州の都市。チューリヒの北西約 22km,チューリヒ湖から流れ出るリマート川岸に位置する。ローマ時代に発見された硫黄温泉があり,現在もリウマチ治療の温泉地として世界的に有名。北西部は工業地区として発展し,電気器具の大工場がある。旧市庁舎は 1424~1712年スイス同盟の会議場であった。バーデンはドイツ語で温泉の意。中世のハプスブルク家の代官屋敷が残り,歴史博物館となっている。人口1万 4800 (1990) 。

バーデン
Baden

ドイツ南西部,バーデンウュルテンベルク州の西半を占める地区。第2次世界大戦前は面積約1万 5000km2,人口約 250万の州であったが,大戦後は,占領軍行政により2分されて,北部 (カルルスルーエ以北) は旧ウュルテンベルク州北半と合併しウュルテンベルクバーデン州 (アメリカ占領地区) ,南部は南バーデン州 (フランス占領地区) となった。この2州は 1951年の人民投票の結果,ウュルテンベルクホーエンツォレルン州 (フランス占領地区) と合併して,52年バーデンウュルテンベルク州を構成。バーデン地方は,ケルト人,ローマ人などの支配を経てフランク王国に属したが,12世紀にツェーリンゲン家バーデン辺境伯領となり,19世紀まで同家一族の支配下にあった。 1806年以降はバーデン大公国,71年にドイツ統一に参加して一連邦となり,のちナチス政権下で州となった。交通の要地にあり,早くから経済,文化が発達,特に,多くの革命家を出して,ドイツにおける自由主義の温床と呼ばれた。

バーデン
Baden

オーストリア東部,ニーダーエスターライヒ州の都市。ウィーン南方約 25km,ウィーナーワルトの東縁に位置する。硫黄泉があり,ローマ時代から保養地として知られる。 1813~34年ハプスブルク家の夏の離宮の所在地。作曲家ベートーベンが第9交響曲を作曲した家などが残る。人口2万 3998 (1991) 。

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