世界大百科事典(旧版)内のKhaṛīBolīの言及
【インド文学】より
…14世紀以降は,アワディー方言による恋愛物語と,同方言を文語化した言語によるラーマ信仰の叙事詩がつくられる一方,ブラジュ方言に基づく文語でクリシュナ信仰の抒情的な詩と技巧的な恋愛詩がよまれるようになった。そして19世紀中ごろからは,ムガル朝治下で広い地域に普及していたカリー・ボーリーKhaṛī Bolī方言が先行の諸文語の語彙をとりいれながら共通語となって,従来の韻文から散文を主とする近・現代文学を担うこととなった。 ヒンディー文学の主要な潮流を,そのつくり手と主題などに着目しながらほぼ年代順に概観すると,ナルパティ・ナルハーの《ビーサルデーバ・ラーソー》(12世紀),チャンド・バルダーイーの《プリトゥビーラージ・ラーソー》(12世紀末?)などの叙事詩は,宮廷詩人が民間の物語を自由にとりいれながら王侯・貴族をたたえたものである。…
【ドゥビベーディー】より
…その過程で明晰な散文が必要になり,自らそれを築きあげ,後進の文章の手直しをした。また詩作も,評論や小説と同じカリー・ボーリーKhaṛī Bolī方言にもとづく共通ヒンディー語で行う運動を推進し,ほぼ実現した。【坂田 貞二】。…
【ヒンドゥスターニー語】より
…名称は〈ヒンドゥスターン(インド)〉を指す地名から派生した。狭義には北インドのドアーブ地方のカリー・ボーリーKhaṛī Bolī方言の別名として,広義には同方言を基盤に形成された北インド一帯の共通語を指すのに用いられる。後者の用法のほうがより一般的である。…
※「KhaṛīBolī」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」