《SaintGenet――comédienetmartyre》(読み)SaintGenet――comedienetmartyre

世界大百科事典(旧版)内の《SaintGenet――comédienetmartyre》の言及

【ジュネ】より

…コクトー,J.P.サルトル,F.モーリヤック,P.クローデルらによる大統領への特赦請願が功を奏して,以後,ジュネは作家として生活するようになる。だがガリマール社による小説《泥棒日記Journal du voleur》の刊行(1949)と,同社刊の《ジュネ全集》の巻頭を飾るはずのサルトルの《聖ジュネ――役者にして殉教者Saint Genet――comédien et martyre》(1952)が,小説家ジュネの活動には終止符を打ってしまう。この中でのサルトルの精密で膨大な分析によって一種の〈空白状態〉に陥り,〈物を書くことができなくなった〉ジュネは,54年,《女中たち》の再演に際して書いた〈ジャン・ジャック・ポーベールあての手紙〉で語っているように,演劇によって作家としての再生を果たすことができた。…

※「《SaintGenet――comédienetmartyre》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む