バオ・ダイ(読み)ばおだい(英語表記)Bao Dai

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バオ・ダイ」の意味・わかりやすい解説

バオ・ダイ
ばおだい
Bao Dai
(1914―1997)

ベトナムの阮(げん)朝(グエン朝)第13代皇帝。1925年パリ留学中に父カイディン帝の死去で即位。1945年日本軍政下に親日ベトナム帝国の独立を宣言したが、日本の敗戦ベトミンの八月革命に直面して退位、新生ホー・チ・ミン政権の顧問に就任。1946年ホーと離反して香港(ホンコン)に亡命。1949年ベトナムの再植民地化を目ざすフランスのオリオール大統領と協定を結び、フランス連合内のベトナム国元首となる。1954年のジュネーブ協定後は、北緯17度以北のベトナム民主共和国による全ベトナム支配の阻止を目ざしたが、放恣(ほうし)な生活ゆえに民心の離反を招き、アメリカが後援するゴ・ジン・ジエムを首相に迎えざるをえなくなった。両者間の権力闘争は1955年国民投票によるバオ・ダイ追放、ベトナム共和国の樹立という形で結着、バオ・ダイはパリに亡命するところとなった。

[黒柳米司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バオ・ダイ」の意味・わかりやすい解説

バオ・ダイ(保大)
バオ・ダイ
Bao Da; Bao Dai

[生]1913.10.22. ユエ
[没]1997.7.31. パリ
ベトナム,阮朝第 13代の皇帝 (在位 1925~45) 。パリに留学中に即位し,その後も留学を続けて 1932年帰国した。第2次世界大戦の末期,45年3月バオ・ダイは日本の保護を背景に独立を宣言したが,同年8月の日本の敗戦とともに崩壊した。終戦直後退位して (阮朝滅亡) ,ホー・チ・ミンらのベトナム民主共和国の政治顧問となった。しかし,その後ホンコンに亡命し,フランスの反ホー工作に利用され,49年6月にはベトナム民主共和国に対抗する親仏政権ベトナム国の国家主席にかつぎだされた。その後フランスにとどまってほとんど帰国せず,国民の支持を失った。そのため,55年 10月の国民投票においてゴ・ジン・ジェムに敗れ,国家主席の地位を失った。

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