ジュネ(英語表記)Jean Genet

デジタル大辞泉 「ジュネ」の意味・読み・例文・類語

ジュネ(Jean Genet)

[1910~1986]フランス小説家劇作家・詩人。泥棒、男娼、放浪生活をしながら作品を書き、悪や汚れを鋭い感受性と多彩な言語表現で聖性に転化させた。のち、前衛的な不条理劇の戯曲を発表。小説「花のノートルダム」「泥棒日記」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ジュネ」の意味・読み・例文・類語

ジュネ

  1. ( Jean Genet ジャン━ ) フランスの小説家・劇作家・詩人。犯罪者同性愛者など反社会的とされた世界の屈辱・反抗・挫折などを、猥雑ながら典雅な表現で描いた。小説「泥棒日記」、戯曲「女中たち」など。(一九一〇‐八六

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改訂新版 世界大百科事典 「ジュネ」の意味・わかりやすい解説

ジュネ
Jean Genet
生没年:1910-86

フランスの作家。娼婦の私生児としてパリに生まれ,中央山塊モルバン地方に里子に出されていた少年期に,窃盗の罪で感化院送りとなり,以後,窃盗や男色家相手の売春を続けながら,放浪と投獄の生活を送る。1942年,フレーヌ刑務所に服役中に書いた詩編《死刑囚Le condamné à mort》を出獄後パリで発表,J.コクトーの認めるところとなる。処女小説《花のノートル・ダム》(1944),第2作《薔薇の奇跡》(1946)は,共に犯罪者と男色家の世界を描くが,作者の想像力の異形性と汚辱と悪を美と聖性へと変容させるそのなまなましくも豪奢な散文によって,秘密出版とはいえ,一躍〈泥棒作家〉ジュネの名をパリの前衛文壇に知らしめた。ジューベにより劇作《女中たちLes bonnes》が初演された1947年は,また小説《葬儀》と《ブレストの乱暴者》が刊行された年だが,同時にジュネは窃盗常習犯として終身刑に処せられる。コクトー,J.P.サルトル,F.モーリヤック,P.クローデルらによる大統領への特赦請願が功を奏して,以後,ジュネは作家として生活するようになる。だがガリマール社による小説《泥棒日記Journal du voleur》の刊行(1949)と,同社刊の《ジュネ全集》の巻頭を飾るはずのサルトルの《聖ジュネ--役者にして殉教者Saint Genet--comédien et martyre》(1952)が,小説家ジュネの活動には終止符を打ってしまう。この中でのサルトルの精密で膨大な分析によって一種の〈空白状態〉に陥り,〈物を書くことができなくなった〉ジュネは,54年,《女中たち》の再演に際して書いた〈ジャン・ジャック・ポーベールあての手紙〉で語っているように,演劇によって作家としての再生を果たすことができた。《女中たち》と相前後して書かれたと思われる《死刑囚の監視》(1949)を除けば,三大戯曲《バルコン》(初稿1956,改稿1960,上演用台本1962),《黒ん坊たち》(1958),《屛風》(1961)はいずれもこの時期以降のものである。

 小説が,〈こそ泥〉であり〈受動的男色家〉であったジュネの,異常な体験に基づく異形な美のいわば〈反・世界〉の構築であったのに対し,戯曲は,そのような〈反・世界〉を成立させている〈幻惑者〉と〈被幻惑者〉の劇の〈関係構造〉そのものを,社会の深層をつき動かす個人的・集団的〈幻想〉の劇へとつなげたものであった。60年,R.ブラン演出の《黒ん坊たち》初演の成功,66年,J.L.バローのオデオン・テアートル・ド・フランスにおけるブラン演出の《屛風》初演のスキャンダル以来,演劇の虚構性の顕揚と破壊の上に,執拗で荒々しい否定性としての〈悪〉を炸裂させようとするこれらの戯曲は,現代演劇の最も重要な作品となっている。また《アルベルト・ジャコメッティアトリエ》(1958)や《綱渡り芸人》(1958)をはじめとするエッセーの硬質で深い散文は,創作を放棄し,ブラック・パンサーやパレスティナ解放運動の支援に力を注ぐようになって以降のジュネの,精神と思考のテキストでもあり続けている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジュネ」の意味・わかりやすい解説

ジュネ
じゅね
Jean Genet
(1910―1986)

フランスの小説家、劇作家、詩人。パリの公立産院で誕生。ガブリエル・ジュネという名の母親は赤ん坊を置き去りにして逃走。父親は名も素姓も不明。孤児として貧民救済施設で成長。7歳からフランス中央山岳地帯の農家に引き取られるが、16歳のとき盗みと傷害事件で感化院に送られる。3年後に脱走してスペイン、イタリア、ポーランド、ドイツなどを放浪し、乞食(こじき)、かっぱらい、男娼(だんしょう)、密輸の手伝いなどでその日暮らしを続け、やがてフランスに舞い戻り、盗みの現行犯でたびたび逮捕されてフランス各地の刑務所に服役しながら、詩編『死刑囚』(1942)、小説『花のノートル・ダム』の断章(1944)を書いて秘密出版した。これを読んだコクトーやサルトルが大統領あての請願運動をした結果、1948年出獄を許され、以後、作家生活に入った。小説『薔薇(ばら)の奇蹟(きせき)』(1946)、『ブレストの乱暴者』(1947)、『葬儀』(1947)や戯曲『死刑囚監視』(1947)、『女中たち』(1947)、バレエ台本『アダム・ミロワール』(1948)、自伝的小説『泥棒日記』(1949)を続けざまに発表し、汚辱と栄光、生と死、悪と聖性の華麗な価値転換を多彩な言語表現によって展開した。サルトルの評論『聖ジュネ』(1952)が刊行されるとジュネの名声はひときわ高くなったが、サルトルの精細を極めた分析によって「生きて埋葬され」たような打撃を受け、小説の執筆は停止し、『ジャコメッティのアトリエ』(1957)、『綱渡り芸人』(1958)などの芸術論を書きつつ劇作に没頭して、『バルコニー』(1956)、『黒んぼたち』(1958)、『屏風(びょうぶ)』(1961)の問題作を公表。多数の登場人物、頻繁な場面転換に色彩、身ぶり、歌、舞踊、仮面を配して、異様な迫真性に満ちた不条理の反演劇を創造した。『演出者ブランへの手紙』(1966)は独自の演劇論で、映画シナリオ『マドモワゼル』(映画化1966)と『全詩集』(1948)がある。晩年はアメリカ黒人運動やパレスチナ問題についての意見など政治・社会的な発言が多かった。

[曽根元吉]

『『ジャン・ジュネ全集』全4巻(1968・新潮社)』『一羽昌子訳『アダム・ミロワール』(1977・コーベブックス)』『サルトル著、白井浩司・平井啓之訳『聖ジュネ』(1966・人文書院)』

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百科事典マイペディア 「ジュネ」の意味・わかりやすい解説

ジュネ

フランスの作家。私生児として生まれ,少年時代から乞食(こじき),泥棒,男娼(だんしょう)などをして各地を放浪し,刑務所を転々とする。在獄中の1942年に書いた詩《死刑囚》でコクトーに認められ,犯罪者と男色家の世界を〈聖なる悪〉として描いた小説《花のノートル・ダム》(1944年),《薔薇の奇跡》(1946年)は〈泥棒作家〉ジュネの名を確立する。1947年戯曲《女中たち》,小説《葬儀》《ブレストの乱暴者》を書くが,窃盗常習犯として終身刑を受ける。1948年サルトルらの請願で特赦され,《泥棒日記》(1949年)を書くが,その小説を分析しつくしたサルトルの《聖ジュネ》(1952年)によって逆に小説家としての命運を断たれる。のち戯曲《バルコン》(1956年)やスキャンダルとなった《屏風》(1961年)を書く。1968年五月革命では政治参加,1970年にはブラック・パンサーに招かれて渡米,幹部釈放活動。1970年秋よりアラファートらPLOと交わり,ヨルダンでは〈フェダイーン〉と行動を共にする。これら活動の集成としてルポルタージュ文学大作《恋する虜》(1986年)を書くが,その校正中に死去。
→関連項目堀口大学

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジュネ」の意味・わかりやすい解説

ジュネ
Genet, Jean

[生]1910.12.19. パリ
[没]1986.4.15. パリ
フランスの小説家,劇作家。早くから貧民救済施設に預けられ,少年院を転々としながら成長,その後も刑務所入りを繰返し,無頼と放蕩の生活をおくった。 1942年頃から,そのアウトローとしての経験を主題とする大胆な小説を書きはじめ,秘密出版して一部の高い評価を受けた。 48年サルトルら多数の作家の嘆願によって流刑を免れた。華麗なイメージと雄弁な抒情に満ちたその作品は,悪をあがめ,悪を美の根源とする絶対的背徳の世界である。『花のノートルダム』 Notre-Dame des Fleurs (1944) ,『薔薇の奇跡』 Miracle de la rose (45~46) ,『泥棒日記』 Journal du voleur (49) などの小説のほかに,人間の仮面と本性の奇妙なもつれ合いを追求する戯曲『女中たち』 Les Bonnes (46) ,『黒んぼたち』 Les Nègres (58) などがある。サルトルによるジュネ論『聖ジュネ,演技者にして殉教者』 Saint Genet,comédien et martyr (52) は彼の名を高めた。

ジュネ
Genêt, Edmond-Charles

[生]1763.1.8. ベルサイユ
[没]1834.7.14. ニューヨーク
フランスの外交官。フランス革命中の 1793年3月特別使節としてアメリカに赴任。アメリカを対イギリス戦争に引入れようと画策した。当時のアメリカの党派リパブリカンズ (共和派) から熱烈な歓迎を受け,これをきっかけとして東海岸の各地に親フランス的な「民主協会」が数多く誕生した。しかしアメリカ政府は中立宣言を発し,ジュネがフランス民有船を武装させるに及んで,国務長官 T.ジェファーソンはジュネの国外退去をフランス政府に要請した。

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367日誕生日大事典 「ジュネ」の解説

ジュネ

生年月日:1878年1月6日
デンマーク生まれのイギリスのバレリーナ
1970年没

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世界大百科事典(旧版)内のジュネの言及

【フランス演劇】より

…なお,16世紀後半の宗教戦争の激化の中で,絶対王権への共同幻想を結晶させる役割を果たすのはイタリア起源の〈宮廷バレエ〉であり(1581年の《王妃の演劇的バレエ》に始まる),それはのちにルイ14世によるベルサイユ宮における《魔法の島の楽しみLes plaisirs de l’ile enchantée》(1664)を頂点とする,古代神話の衣装をまとった絶対王権顕揚の世俗的大祝典劇を生む。キリスト教の典礼や物語にのっとった宗教劇は,バロック時代の劇作や,J.deロトルー《聖ジュネスト》,コルネイユ《ポリュクト》あるいはラシーヌ晩年の2悲劇の例はあるものの,以後は19世紀末のP.クローデルの出現まで姿を消す。 中世ゴシック都市における大聖史劇上演には,同時代の他の舞台表現,すなわち〈阿呆劇(ソティsottie,sotie)〉〈教訓劇(道徳劇)moralité〉〈笑劇farce〉などもプログラムに組み込まれることが多かった。…

※「ジュネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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