アイゴスポタモイの戦(読み)アイゴスポタモイのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「アイゴスポタモイの戦」の意味・わかりやすい解説

アイゴスポタモイの戦 (アイゴスポタモイのたたかい)

アイゴスポタモイAigospotamoi(アエゴスポタミAegospotami)とは〈ヤギの川〉の意。トラキアのケルソネソス半島東岸を流れる川で,ペロポネソス戦争末期の前405年,スパルタ艦隊とアテナイ艦隊がこの地に布陣。食糧調達のため上陸,散開したアテナイ軍はリュサンドロス率いるスパルタ軍の急襲にあい,大敗北を喫した。これによってペロポネソス戦争の帰趨は決し,翌年アテナイは降伏した。
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世界大百科事典(旧版)内のアイゴスポタモイの戦の言及

【ペロポネソス戦争】より

…シチリア遠征の失敗ののち,デロス同盟諸市の離反が相次ぎ,それに加えてスパルタがペルシアと結んで小アジア方面のスパルタ海軍の増強に成功するに及んで,大勢は急速にスパルタ側の優位に傾いていった。アテナイは前406年,アルギヌサイの海戦に勝利を収めたものの,暴風のために多くの艦船と兵士を失い,翌405年にはアイゴスポタモイの戦で敗れて黒海方面での制海権を奪われ,穀物輸送路を押さえられて,前404年降伏した。
[結果と影響]
 アテナイの厳罰を要求するコリントスなどペロポネソス同盟諸市の意向を抑えて,スパルタは城壁の破壊,艦船の所有制限,デロス同盟の解体などの比較的寛大な条件で和議を成立させた。…

【リュサンドロス】より

…スパルタの将軍。ペルシアの支援をえてペロポネソス海軍を強化し,アイゴスポタモイの戦でアテナイ海軍を潰滅させた。続いてアテナイを包囲・降伏(前404)させた彼は,諸市に総督をおいたり寡頭政的な十人支配を樹立し,スパルタの支配体制確立に努めたが,永続きしなかった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」