三原城(読み)みはらじょう

日本の城がわかる事典 「三原城」の解説

みはらじょう【三原城】

広島県三原市の三原浦に浮かぶ大島、小島を基盤に築かれた平城(ひらじろ)。城跡の中心部は国指定史跡。櫓が32基、城門が14あり、城郭とともに軍港の機能も持っていた。満潮時に海に浮かんでいるように見えたところから、浮城(うきしろ)の別名があった。三原城は、1567年(天文10)から毛利元就(もうりもとなり)の三男小早川隆景(こばやかわたかかげ)によって築かれた。1595年(文禄4)隆景は、養子の秀秋(ひであき)(秀吉の甥)に領地筑前を譲ると、三原城に戻り余生を過ごした。このころ城の修築に取りかかり、近世城郭として整備、また城下町の基礎をつくった。隆景没後、毛利氏が城を管理したが、関ヶ原の戦いののち福島正則の所領となった。1619年(元和5)以後浅野氏が入り、広島城の支城として幕末まで使用された。現在、城の周囲は埋め立てられ市街地となっているが、天守台の石垣とその周囲の内堀、本丸中門跡、舟入櫓(ふないりやぐら)跡の石垣などが残る。本丸跡はJR山陽新幹線・山陽本線の三原駅構内にあり、駅から直接行ける。◇浮城ともいう。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三原城の言及

【三原[市]】より

…古代山陽道の真良(しんら)駅は高坂町真良に比定される。高山城(現,本郷町)を居城としていた小早川氏が1567年(永禄10)に三原城を築いて以来,城下町として三原の町が発展する。1892年山陽鉄道(現,山陽本線)の開通にともなって糸崎に操車場が置かれ,また99年に糸崎港が特別輸出港に指定され,工業都市としての発展が約束された。…

※「三原城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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